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野鉄砲の平穏なる日常
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DKLog.JP::Diaryあしあと

■ 2018/04/21 恐怖 怨霊が電車でやってくる
■ 2018/04/20 リスト作成10周年企画 第6回 漫画家部門
■ 2018/04/19 コンビニで出会ったやつ
■ 2018/04/18 印刷所が狙われている!
■ 2018/04/17 目覚まし時計が1時を指したら
■ 2018/04/16 頭の中に半蔵門線
■ 2018/04/15 野鉄砲は時代おくれ?
■ 2018/04/14 リスト作成10周年企画 第5回 海外作家部門
■ 2018/04/13 リスト作成10周年企画 第4回 国内作家部門
■ 2018/04/11 リスト作成10周年企画 第3回 海外政治家部門
■ 2018/04/10 変貌!!大塚ステーション
■ 2018/04/09 新橋への招待状
■ 2018/04/08 リスト作成10周年企画 第2回 国内政治家部門
■ 2018/04/07 暇人大歩行
■ 2018/04/06 リスト作成10周年企画 第1回 偉人部門
■ 2018/04/05 10周年への贈り物
■ 2018/04/03 小田急線 大和に突っ込め!
■ 2018/04/02 やる気をなくした中年

恐怖 怨霊が電車でやってくる
土曜日はS新聞の打ち合わせで5月1日号の制作がスタート。いつも打ち合わせは毎月25日ぐらいですが、今月に限って早いのは28日が土曜、29日が日曜、30日が祭日、1日もメーデーで印刷所がほとんど動かないため。27日には新聞を完成させなければいけないため、通常よりも4日ぐらい早いスタートとなりました。

そしてS新聞に向かう電車の中で、週刊文春の広告かと思って読んでいた電車の吊り広告の内容が何だかおかしいと思ったら、東京ドームシティのお化け屋敷「怨霊座敷」の広告だった。週刊文春と全く同じ作りの広告だから、何の疑いもなく読んでいて「呪われた家の謎」とか書いてあるからおかしいと思ったんだよ。

そんなことがありながら社長と打ち合わせをしてから、そのまま印刷所へ。今回も12ページですが、とりあえずすぐに入稿できるページから入稿していき、今日1日で5ページ分を入稿して残り7ページです。今回野ように全面広告が2ページある月が年に2〜3回あり、その時は1ページ分だけ楽になります。いつも1日目で4ページ分を入稿していて、今日も4ページ分を入稿したところでフラフラになっていましたが、ここで帰ったら1ページ分のアドバンスが無くなってしまうと5ページ目も入稿してきました。

頑張れば6ページ目も不可能ではなく、1日目にして半分も入稿したら楽になるのは分かっていましたが、5ページ目を入稿したところで夜7時を過ぎており、6ページ目に手を付けたら帰るのが夜10時で家に着くのが夜11時を過ぎてしまう。さすがに現在の状態では無理だと思ってあきらめました。いつもより4日早くスタートして、1日目で5ページ分も入稿したので、これで楽勝と言いたいところですが、今回に限っては来週に色々と壁が立ちはだかっているので全く楽観視ができません。

夜8時ぐらいに帰ってきて、原稿を書く気力が無いので、先に原稿料の請求とかを片付けたら、そこで力つきて眠ってしまったようで、目が覚めたら日曜の朝6時。S新聞の入稿作業も進めたいところですが、日曜はK新聞の追加の1ページ分にすべてつぎ込む予定です。計算上は1日あればほとんど書き終わりますが、そんなにうまくいかないの自分が一番分かっている。

そして日曜の朝に目が覚めて、目にしたのは世界最高齢で19世紀生まれの最後の人である田島ナビさんの訃報。まだ世間に見つかっていない19世紀生まれがいる可能性もありますが、そうでない限り19世紀生まれの人がいなくなったことになります。○○世紀生まれの人がいなくなるのは100年に1度の出来事。次に20世紀生まれの人がいなくなるのは今から約100年後で、おそらく2000年生まれの人が115歳ぐらいになる2115年あたりに訪れます。




2018/04/21 (SAT)
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リスト作成10周年企画 第6回 漫画家部門
土曜にS新聞の打ち合わせで5月1日号が動き出すので、金曜は自宅で原稿を書き進めていました。残っていた原稿のうち夜には表参道の原稿は完成。そこから、御茶ノ水の原稿を書き進めて、途中で眠ってしまった時の用心に先に土曜の打ち合わせの準備を済ませて、御茶ノ水の原稿が完成したのは土曜の明け方。というわけで、こうして日記を更新しています。

出かけるまで3時間以上あるので、かなり余裕はありますが、それまでにK新聞の追加の1ページ分を進めるよりは休憩にあてられそうだ。ほとんど徹夜した上に、明け方にカップヌードルナイスを食べたので、ちょっと胃ももたれ気味です。とにかく打ち合わせまでにS新聞の原稿はすべて片付いたけれど、これからS新聞の制作とK新聞の追加の1ページ分の同時進行がつらい。

というわけで、ここから先は存命人物リスト作成10周年企画の第6回目で漫画家部門です。この10年で亡くなられた漫画家は17名。他の部門と比べて少ないように思いますが、これは漫画家の平均年齢が若いため。漫画がブームになったのは昭和30年代ぐらいで、そこで若き漫画家が一気にデビューしたので、それほど高齢者がいない一方、1960年代生まれが37人もいるのは漫画家部門ぐらいです。

このリストを作成するかしないかの頃に亡くなられたのが赤塚不二夫先生。2008年8月2日に亡くなられていますが、このリストは2008年の夏前に作ったと思うのですが、どちらが先だったか覚えていません。そして漫画家部門といえば、やなせたかし先生と水木しげる先生が高齢のワンツートップだったのに、妖怪的な生命力を持っていたお二人も亡くなられてしまいました。

おそらく4位ぐらいに位置していたのが河童の黄桜のCMでお馴染みの小島功先生。小島先生が亡くなられたことで長期連載漫画1位だった仙人部落の記録が変わってしまいました。後はコロコロコミックでウルトラマンを連載していた内山まもる先生、はだしのゲンの中沢啓治先生などが亡くなられています。つい最近になってエコエコアザラクの古賀新一先生が亡くなられました。

そして現在のリストの1位はお笑い漫画道場でおなじみの富永一郎先生が1925年生まれ。2位は1929年生まれでフジ三太郎の作者であるサトウサンペイ先生です。漫画家部門は全部で162名。リスト作成時は国内男優部門が最多だったのに、現在では平均年齢の若さから漫画家部門が最多となっています。次回は国内映画監督部門となります。

2018/04/20 (FRI)
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コンビニで出会ったやつ
水曜で無事にK新聞は完成しましたが、木曜は午後からS新聞の依頼で御茶ノ水で取材。午後2時からの取材だったので体力を回復することができたのは助かった。取材は午後5時に終了して、そこから秋葉原まで歩いて帰宅。久しぶりにイエローサブマリンに寄りましたが、ゲームブックが一冊も見当たらない。たまたま品切れだったのか、それとも市場から完全にゲームブックが消えうせたのか。

どちらにしても買うつもりは無かったと自分を納得させてから帰宅。夕方6時過ぎに帰ってきたけれど夜7時ぐらいには寝ちゃったんじゃないかな。帰ったら読もうと思って買った少年チャンピオンですら読まないで寝てしまったので、かなり早く眠りに落ちたと思う。そして目が覚めたのは夜11時過ぎ。もう少し早く起きたら、夜11時まで開いているスーパーに行けたのにと思ったから、よく覚えている。

この11時では起きることができずに、次に目が覚めたのは夜中の12時半。この1時間半の間に、かなり濃い内容の夢を見た。簡単に言うと仕事で取り返しのつかない失敗をする夢だけれど、途中で何となく夢だと気付き始めて、夢から覚めたら失敗は無かったことになると思って頑張って目を覚ましました。

というわけで夜中から原稿を進めてS新聞の神田の原稿は完成。これで表参道と取材したばかりの御茶ノ水の原稿が残っている。そしてK新聞からも追加の1ページ分が届きました。土曜からはS新聞の5月1日号が動き出すわけで、かなりヤバい状況と言えます。すでに金曜の昼ですが、土曜の打ち合わせまでにどこまで終わらせることができるやら。

前々回のの日記で書き忘れましたが、水曜の明け方にトップバリューの天ぷらそばをいただきました。そして今回は夜中の12時半に起きてからスーパーが開いていなかったのでコンビニで「赤いきつね」を購入。久しぶりに「赤いきつね」を買ったけれど、やはりおいしい。しかもコンビニ限定品でおあげが2枚というのもお得だった。

2018/04/19 (THU)
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印刷所が狙われている!
水曜も引き続き、K新聞にて4月号の校正。8ページのうち火曜の段階で7ページ分の校正ができていたので、少しは楽ができるのかと思ったら、そうでもなかったな。2日目は自分か担当さんのどちらかが印刷所に入って新聞を完成させますが、今回はどちらも印刷所に入らずに完成させました。

サーバで校正できるので、印刷所に行かなくても完成できますが、やはりどちらかが印刷所に行かないと最後の詰めが大変。印刷所に入った担当さんとやり取りする必要はなくなりますが、細かい修正を印刷所に伝えるのが大変になる。それでも夜8時半に完成したから良しとするか。

帰ってきてから思い切りグッタリしてしまい、ようやく体が動くようになったけど、すでに木曜の朝9時だ。とにかくK新聞は完成したので残っているS新聞の神田と表参道の原稿を終わらせていきましょう。ここから10周年企画を書くつもりで、日記を書き始めましたが、その気力が残ってないな。今日のところは新聞が完成したことだけ報告して日記を終わらせます。

2018/04/18 (WED)
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目覚まし時計が1時を指したら
火曜日はK新聞の4月号の校正1日目。毎度のことですが、K新聞は火曜と水曜の2日間の校正で一気に完成させます。月末に1週間かけて入稿しながら完成させるS新聞とは、そこらへんが違います。

自宅で少しだけ校正を進めていただけあって、1日かけて8ページのうち7ページ分の校正が完了。だいたい1日目で6〜7ページの校正が終わるのが、これも毎度のパターンです。そして残り1ページとなっているにも関わらず、2日目の水曜もそこそこ苦戦するのも毎度のパターンです。

8時半まで校正して帰ってきたのは夜9時頃。さて、そこからいつまで起きていたのか覚えていない。ふと目が覚めたのは夜中の1時半。随分と早く目が覚めたので、これから色々と片付けることができると思ったのが罠だった。どうも目が覚めて1時だと時間を確認したところまでが夢だったらしい。頭の中で1時じゃないぞと警告が発せられて、しっかりと起きたら午前3時だった。

もしかしたら1時に目が覚めて2度寝したのかも知れませんが、そこらへんの記憶が曖昧だ。そして午前3時に目が覚めたところで書かなければいけない原稿がある。K新聞で書いた12本の原稿のうち、1本だけ他のページで同じ内容の記事が入っていると分かったので差し替えの原稿を書かなければいけない。まあ、1本だけなら1時間もかからないので午前3時に起きたら余裕でした。

まだ、S新聞の神田と表参道の原稿が残っているのに、差し替えの原稿を書いただけで力尽きた。校正で疲れている状態では1本の原稿を書くのがやっとだった。原稿を書き終えた後に二度寝してしまい、あと10分で出かける時間です。とにかくまずは水曜の校正でK新聞を完成させることに専念しましょう。

2018/04/17 (TUE)
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頭の中に半蔵門線
週明けの月曜はS新聞の依頼で午前中は神田で取材。電車ではやたら通るけれど神田で取材というのは珍しい。この神田でのイベントは夕方まで続くけれど、午後からは別の取材が入っているので、ここまで取材すれば原稿は書けると見極めたところで神田を後にしました。

そして午後からは同じくS新聞の依頼で表参道での取材。神田と表参道は離れているけれど地下鉄銀座線で乗り換えなしで移動できるのは助かる。この表参道の取材を夕方4時半に終えて今日の取材は終了です。

そして表参道からは半蔵門線で帰宅。これはルート的には遠回りになるけれど、いつも座れるし、そのまま錦糸町まで乗り換えなしで行けるので、表参道で取材した時は余程急いでない限り半蔵門線を使って帰ります。錦糸町に着いてからは一駅分だけウォーキングで帰宅。いや、これぐらいの距離じゃウォーキングにならないけどね。

帰宅後は神田と表参道の取材で撮った写真を整理して、そこから日曜にできなかったK新聞で組み上がっているページを自宅で校正。自分が書いた12本と8本の原稿の校正ですが、8本の原稿の校正がもうすぐ終わるところで眠ってしまった。

こうして眠ってしまった時は、だいたい午前4時に自然と目が覚めます。そこから残っていた分の校正を朝7時に終えて、こうして日記を更新しています。さて、K新聞に校正へ出かけるまで、あと40分。日曜にやり残した校正は片付いたけれど、当然のごとく新たに取材した神田と表参道の原稿が次の課題として残されています。

今日は時間もないので10周年企画はお休み。あれは通常の日記を書くよりも時間がかかります。血圧は上が158・下が109。本当に上が150・下が100の区切り良いところが壁になってるな。

2018/04/16 (MON)
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野鉄砲は時代おくれ?
日曜の昼の段階で残っていたのは、S新聞の依頼で取材した新橋と池袋の原稿の2つ。夜7時ぐらいに新橋の原稿が完成して、そして日付を越えて夜中の2時半に池袋の原稿が完成しました。これで抱えている原稿はすべて片付きましたが、できればK新聞で組み上がっているページを自宅で校正したかった。

自宅での校正は絶対にやらなければいけないものではないけれど、校正をスムーズに進めるためには少しでも見ておくべき。現在、校正できるページは2ページだけなので1ページにつき2時間として4時間かかる計算か。今日は無理っぽいので月曜の取材を終えてから、火曜の校正までの間に自宅で進めるとするか。

今日も内容の薄い日記ですが、10周年企画は1回お休み。ふと思った雑感について書きましょうか。それは時代の風景はどこで変わっているかという問題。ん、ちょっと分かりにくいですかね。例えば10年前の2008年は今とほとんど風景が変わっていないはず。一方、明治や大正まで遡らなくても昭和20年ぐらいだと今と全く風景が違うはず。その境目がどこにあるかという問題です。

タイムスリップしたら、その違和感に気付くかどうかを基準にしましょうか。知っている場所だと、すぐに分かるので、都内でもあまり知らない場所の屋外にタイムスリップして、すぐに気付くかどうかだな。もちろん少し前に戻るとスマホを使っている人も少ないはずですが、それぐらいだとすぐには気づかないでしょう。

確かめる手段としてYouTubeで、昔の風景の動画を見てましたが、1992年の東京だと今と違いが分からないな。微妙に女性の髪形や化粧に違和感を覚えますが、基本的に人の顔も服装も自動車もほとんど同じだ。一方、1963年になると全然違うな。服装が全く違うし、自動車の形どころか信号機の形も違うし、コンビニが無いなど建物の並びも違うからタイムスリップした瞬間におかしいと分かるはず。

それでは、その間のどこが分岐点となるのでしょうか。そもそもいきなり変化したわけじゃなく、少しずつ変わっていったので分岐点など無いのかも知れないし、本当に1992年は違いが無いのかという疑問も残ります。でも、1985年ぐらいだとタイムスリップしても、すぐに気付かないんじゃないかな。

パソコンやインターネットが普及していないという決定的な違いはあるものの、YouTubeで1985〜1986年の東京の映像を見たけれど、それほど大きな違いは無いな。総武線のカラーは一発で違うと分かるけどね。それでは1万円札が福澤諭吉になった1984年11月を分岐点にしておこうか。しかし、当時は高校生でそれから30年以上たったのに、日本の雰囲気があまり変わっていないというのはイヤだな。もちろん何度も書いているようにネットとスマホの普及は非常に大きな違いではあるのだけれど。交通網が整備されて、コンビニが至るところにできてからは文化に大きな違いはないように思います。

2018/04/15 (SUN)
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リスト作成10周年企画 第5回 海外作家部門
土曜日は1日かけてS新聞の荒川の原稿が完成。基本的に取材した順に原稿を片付けています。1日1殺ペースというのはどうかと思いますが、これで残っているのは新橋と池袋の原稿。さすがに次の取材が入ってくる月曜にまで残したくないので日曜で2つの原稿を終わらせねば。

そして日曜の明け方は原稿を書きながらトップバリュー「きつねうどん」をいただきました。明け方の空腹を埋めるために、どうしてもカップめんを食べてしまう。それでもカップやきそばは、今年に入ってから一度も食べてません。というわけで内容が薄い日々が続くので、今のうちに10周年企画をどんどん進めていきましょう。

というわけで存命人物リスト作成10周年企画の第5回目は海外作家部門です。この10年間で亡くなられた海外作家は全部で21人。確かリストを作成した当時の最高齢は1919年生まれでデュマレスト・サーガの作者であるE・Cタブだったんじゃないかな。その後は、1920年生まれのミステリー作家であるP・Dジェイムスだったと思います。そういえば綾辻行人が勧めていたミステリー作家はP・Dジェイムスとコリン・デクスターの2人とも10年間で亡くなってしまった。

人数は21人で亡くなられた方の少ない部門ですが、「ライ麦畑でつかまえて」のJ・Dサリンジャー、「薔薇の名前」のウンベルト・エーコ、SF作家のレイ・ブラッドベリ、「アルジャーノンで花束を」のダニエル・キイス、「ゲド戦記」のアーシェラ・K・ル=グィン、「百年の孤独」のガルシア・マルケスと大物が随分と亡くなられたという印象があります。

個人的にショックだったのは「大どろぼうホッツェン・プロッツ」シリーズを書いたオトフリート・プロイスラーが亡くなられたこと。子供の時に読んでいたシリーズということで、数年前に「ぽっぺん先生」シリーズと「ホッツェン・プロッツ」シリーズを図書館で借りましたが、ぽっぺん先生シリーズの舟崎克彦先生とともにオトフリート・プロイスラー先生も亡くなってしまった。それどミッフィーの作者であるディック・ブルーナが亡くなられたのもショックでした。

現在、海外作家部門は38人。10年間で21人が亡くなられて、ゲームブック作家の3人を加えたので18人がリストから減りました。P・Dジェイムスが亡くなられてから、現在の最高齢は1924年生まれのミステリー作家であるカトリーヌ・アルレー。海外作家部門は、いわゆる大物作家と呼べる人物が10年間で随分といなくなったように思います。次回は漫画家部門となります。

2018/04/14 (SAT)
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リスト作成10周年企画 第4回 国内作家部門
木曜と金曜の2日間ですが基本的にグダグダ。K新聞の原稿を昼までに入稿した木曜はともかくとして、木曜の午後から金曜というか、すでに土曜の昼ですがS新聞の代々木の原稿しか終わっていないのは情けない。4つのS新聞の原稿のうち金曜に2つ、土曜に2つを終わらせて日曜はのんびり過ごそうと思ったのに、それも机上の空論に終わりそうだ。

前回の日記で書き忘れましたが、木曜の明け方に「緑のたぬき」をいただきました。そして金曜の明け方に「どん兵衛 鴨だしそば」をいただいたので2日連続のカップめん。土曜は我慢したので3日連続は食い止めました。血圧は上が153・下が110。問題はここから先だな。

さて、内容の薄い2日間だったので存命人物リスト作成10周年企画の第4回目で国内作家部門です。10年間でこんなに亡くなったのかと思う部門がありますが、その一つが国内作家部門。10年間で42名もの国内作家が亡くなられています。リスト作成時の最高齢は1915年生まれの探偵作家である草野唯雄氏。実はリストを作成した2008年頃に亡くなられていますが、それが明らかになったのは2014年になってからでした。

泡坂妻夫、栗本薫、立松和平、井上ひさし、小松左京、北杜夫、土屋隆夫、丸谷才一、佐野洋、山崎豊子、連城三紀彦、大西巨人、渡辺淳一、赤瀬川原平、宮尾登美子、平井和正、松谷みよ子、船戸与一、阿川弘之、舟崎克彦、佐木隆三、野坂昭如、夏樹静子、戸川昌子、大岡信、内田康夫。42名の中から半分ぐらい挙げただけでも、人数もさりとてながら馴染み深い作家さんが亡くなられたことにショックを受けます。中でもトマソンの赤瀬川原平先生と、ぽっぺん先生の舟崎克彦先生が亡くなられたのが個人的にショックです。

草野唯雄氏が故人と分かってからは、1922年生まれの瀬戸内寂聴氏がリストでは最高齢となっています。作成当初は150名以上だったのが現在は117名。作成してから新たに加わることが少ない部門ではあります。新たに加えたのって大河ドラマの原作も務める永井路子さんと「魔女の宅急便」の原作者である角野栄子さんぐらいじゃないかな。

高校の時に使っていた1986年時の国語便覧では、リスト作成時には4人が存命だったのに、庄野潤三、安岡章太郎、北杜夫の3氏が亡くなられて存命なのは大江健三郎氏だけになってしまった。ちなみに自分が小学校の時に買った「わたしたちの歴史」(昭和50年発行)に載っていた作家では、大江健三郎氏のほかに谷川俊太郎、天沢退二郎、中村稔の各氏が存命です。次回は海外作家部門となります。

2018/04/13 (FRI)
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リスト作成10周年企画 第3回 海外政治家部門
水曜から日曜まで5日間も取材が無いので、たまった原稿を片付けることができるわけです。というわけでまずはK新聞の12本の原稿を夕方までに終わらせて印刷所に入稿。そして、K新聞の8本の原稿も一晩かけて終わらせて木曜になってから印刷所に入稿しました。

これでK新聞の方は片付いて、S新聞の代々木、荒川、新橋、池袋の4つの原稿を残すのみとなりました。というわけで存命人物リスト作成10周年企画の第3回目で海外政治家部門を進めていきましょう。

この存命人物リストとは別に、高校の世界史に載っていた人物で存命者をチェックしていますが、これが海外政治家部門と連動しています。海外政治家を年齢順に並べているだけでなく、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、中国、韓国、北朝鮮、台湾、その他の国の国家元首を国別に分けて年齢順に並べています。

当初はカナダ、オーストラリア、インドの歴代首相も入れようかと迷ったのですが無駄に人数が多くなりそうで入れてません。10年間で亡くなられた海外政治家は全部で20名。リスト作成時に最高齢だったのは中国八大元老の最後の生き残りで2015年に亡くなった万里かな。

アメリカ大統領は10年間で一人も亡くなっておらず、オバマとトランプの2人が増えました。イギリスは世界史の教科書にも載っていたサッチャー首相が亡くなり、10年間でキャメロン首相とメイ首相が加わりました。フランスの大統領は一人も亡くなっておらず、オランド大統領とマクロン大統領が加わりました。

ドイツは大きな変化があって、首相は10年前と変わっていませんが、それまで2人もいた世界史の教科書の存命人物が、シュミット首相とコール首相の2人とも亡くなりました。イタリアは昔から首相がコロコロ変わり、以前に首相になった人が返り咲くなどややこしいからリストに入れるか最後まで迷った国。10年前はスキャンダルで有名だったベルルスコーニ首相でしたが、それから4人も新しい首相が誕生し、4人の首相経験者が亡くなりました。

韓国の大統領の10年間を振り返ると、大統領経験者が辞めた後に犯罪者として裁かれるケースが多いように思います。金泳三、金大中、盧武鉉の3人の大統領が10年で亡くなりましたが、盧武鉉大統領は自殺だし、その後の李明博大統領と朴槿恵大統領で3連続で大統領が罪に問われるのは色々と闇が深い。

それ以外ではエリザベス女王以上に長く国家元首を続けてきたタイのラーマ9世、そしてキューバのカストロ首相、北朝鮮の金正日が亡くなったのが大きい。また、ベトナムでクーデーターを起こして大統領になったグエン・カーン将軍、パナマの最高司令官だったノリエガ将軍のリストにあった2人の将軍も亡くなりました。

1986年の高校の世界史に載っていた人物はサッチャー首相、シュミット首相、コール首相、カンボジアのシアヌークの4人が10年間で亡くなったことになります。残っているのはアメリカのカーター大統領、フランスのジスカール・デスタン大統領、ロシアのゴルバチョフ書記長、韓国の全斗煥大統領、エジプトのムバラク大統領、カンボジアのヘン・サムリン、スペインのファン・カルロス1世の7名。ムバラク大統領は6年前に意識不明の重体にまでなったのに、そこから持ち直しているからすごい。

というわけで現在の海外政治家でリストに入っているのは58名。亡くなった人も多いのですが、新たに首相や大統領になる人がいるので人数の変動が少ない部門です。次回は国内作家部門となります。

2018/04/11 (WED)
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変貌!!大塚ステーション
火曜日は午前中からS新聞の依頼で池袋での取材。この取材は1年前に他のライターさんとブッキングして、会場まで行きながら引き返した覚えがあります。今回も他のライターさんが来ていたらどうしようと、恐る恐る向かいましたが、ブッキングなどはなく無事に取材を終えることができました。

去年は会場を引き上げてから、大塚や巣鴨を散策してから帰りましたが、今回も取材を終えてからウォーキングを兼ねて大塚まで歩くことにしました。とはいえ1年前も散策しているし、今年に入ってからも「とげぬき地蔵通り」を歩いたばかりです。そこで最近は歩いていなかった道のりを通って帰ることにしました。

まずは池袋から西巣鴨まで向かい、母校である大学の前を通ってから白山通りを巣鴨方面へ。いつも、とげぬき地蔵通りにつながる細い道を通っているので白山通りを歩くのはは久しぶり。そして都電のあたりから大塚方面へ。いつもバイト先に向かう時に通っていた懐かしの道です。この前はとげぬき地蔵通りから巣鴨に出たし、1年前は池袋寄りの通りから大塚に向かったので、この道を通るのは久しぶりです。

さて、今回は久しぶりの道を通りましたが、結果としては昔から変わった印象が無い。通り沿いの店は随分と変わったけれど、道全体から受ける印象が昔と変わっていないからだろう。おそらく20年前からタイムスリップしても、「ここはどこだ」と混乱することは無いぐらいの変貌だな。結局のところ一番変わったのはゴールの大塚駅だったと思う。

そして、最近は取材を終えて帰ってきてからのグダグダから抜け出せない。帰ってから眠ってしまったようで、6時に起きた時は、6時にしては暗すぎると思ったら夜の6時だった。そこから日付を越える少し前まで起きていた記憶はあるけれど、次に目が覚めたのは午前3時。どうしても起き上がることができずに、やっと起きられたのは午前5時。そこから原稿を書いて12本の原稿が残り2本になったところで日記の更新です。

K新聞は12本の原稿は残り2本で、その他に8本の原稿が残っています。そしてS新聞はここ数日の取材で、代々木、荒川、新橋、池袋と4つも原稿がたまってしまった。なお、午前5時に起きてから空腹にたえかねてトップバリューのカレーヌードルを食べてしまった。

2018/04/10 (TUE)
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新橋への招待状
月曜は午後から取材だったので、午前中にK新聞の原稿を進めようと思ったのに、受け取った資料のうち何本かを差し替えたいとの連絡が入りました。差し替えの資料はメールやFAXで届くので、わざわざ受け取りに行く必要がありませんが、日曜に終わらせたレイアウトを修正する必要が発生。この修正作業で午前中が終わったので原稿は進みませんでした。

そして午後からはS新聞の依頼で新橋で取材。この取材は去年までは中野での取材でしたが、今年から新橋になりました。中野の取材では帰りがけに、まんだらけに寄るのを楽しみにしていたので、その機会が無くなったのは残念。この取材以外で中野に行く機会って滅多にないんだよな。

新橋の取材は午後3時半に終了予定でしたが、進行が早く進んで午後2時半には終了。せっかく早く終わったのだからウォーキングで途中まで歩いて帰ることにしました。まずは新橋から八重洲ブックセンターまで歩いて、東京駅から電車で歩いて帰ろうと思ったところで、2駅分では歩き足りないかなと思って、もう少しウォーキングを継続。

なぜか疲れていたので、東京駅から帰りたいと思う気持ちも強かったのですが、この警告には従うべきだったかも。神田駅まで歩いたところで、このあたりは20年ぐらい前の職場の近くだったので、近辺を散策しながら浅草橋まで徒歩で帰宅。さすがに歩きすぎて限界に到達。印刷所や荒川から歩いた時に比べると距離も短いんですけどね。

必要以上に体に負荷をかけすぎたせいか、帰宅後はグッタリして仕事にならず。一眠りしてから原稿に取り掛かり、12本の原稿のうち5本が終わりました。もう少し進めてから日記を更新したかったけれど、火曜は午前中から取材なので、ここまでだ。血圧は上が150・下が111。下がっているけれど、前回も上が150だったな。あと1つなのに150が切れない。

2018/04/09 (MON)
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リスト作成10周年企画 第2回 国内政治家部門
日曜は自宅で原稿を進めていましたが、K新聞で受け取ってきた8本と12本の原稿のレイアウトだけは終わった。後は一気に原稿を書き進めるだけですが8本の方だけでも終わらせたかったのにグッスリと眠ってしまったよ。血圧が下がるのと比例して仕事の速度も下がってないか。まあ、仮にそうだったとしても、血圧が下がった状態でも仕事を早く進めるようにしていかねばなるまいな。

すでに月曜の朝ですが、これから原稿を一気に進める前に存命人物リスト作成10周年企画の第2回目で国内政治家部門を書きます。この10年で亡くなられた著名な国内政治家は自分が把握している限り22名。現在は1918年生まれの中曽根康弘元首相が最高齢ですが、リストを作成した10年前は鈴木俊一元都知事、奥野誠亮元文部大臣、小沢辰男の3氏が中曽根氏の上にいました。

最近になって1910年代生まれで斉藤滋与史元建設大臣が存命と分かってリストに加えて2位になっていますが、中曽根氏と斉藤氏が国内政治家の1910年代生まれ、リスト全体でも1910年代生まれは6名なので、そのうちの2名がここにいます。ちなみに3位は1924年生まれの村山富一元首相です。

2017年に羽田務元首相が亡くなられた時も日記に書きましたが、日本の首相経験者が亡くなられたのは2007年の宮沢喜一氏以来だったので10年ぶりでした。それ以外に、この10年で亡くなられた方ではハマコーこと浜田幸一、土井たか子、塩じいこと塩川正十郎、鳩山邦夫、野中広務の各氏が有名なところでしょうか。

2016年に半年ぐらいの間に、加藤紘一、堀内光雄、小里貞利と宏池会の派閥の長が次々と亡くなられたのには驚きました。その半年間には同じく宏池会の派閥の長である谷垣禎一氏が自転車で転倒して政界引退を余儀なくされたし、宏池会にとって2016年後半は不幸続きの半年間となりました。

現在、国内政治家部門は全部で60名。作成時から先ほどの斉藤滋与史のほかに、小池百合子氏、野田佳彦氏、石破茂氏、石原伸晃氏らをリストに加えました。次回は外国人政治家部門となります。

2018/04/08 (SUN)
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暇人大歩行
土曜日はS新聞の依頼で午前中から荒川での取材。3月にも最寄駅のロータリーからバスに乗って荒川まで取材してきましたが、だいたい3月と4月の取材がワンセットになっているのです(事情は説明しませんが)。

そして荒川の取材は午前中で終了。3月の時も途中まで歩いて、そこからバスに乗って帰ってきましたが、今回もウォーキングということで家に向かって歩き始めました。3月は向島百花園まで歩いて、そこからバスに乗りましたが、今回はそれよりも先まで歩くことが目標です。

疲れたらバスに乗るため、バスの通りに沿って歩きますが、バスのルートを無視した方が近いのではと思い、スカイツリーを目印にして最短距離を目指すルートに変更しました、これで途中でばすに乗ることはできなくなりますが、限界になったとしても都内なら駅がいたるところにあるし、他のルートのバスも通っています。

最短距離を選んだにしては、あまり距離は変わらないように思いましたが、久しぶりにスカイツリーを真下から見上げ、3月は隅田川を白髭橋を渡ったのに対して、今回は言問橋を渡って帰ってきました。そして、終盤に限界が来たものの、さすがにここで乗り物に乗るのは勿体ないということで自宅まで徒歩で辿りつきました。

距離にして8km程度なので、これまで歩いた印刷所から家までとか、家から北千住とか、ほとんど変わらないですね。ちなみに、あと20分ぐらいで家に着くというところで、お腹が空いたのと休憩も兼ねて日高屋で昼食。ワンタンメンをいただきましたが、こうなると健康的なことをしているのか、不健康なことをしているのか分からない。

ちなみに帰ってきてからダウンして寝てしまったので仕事は停滞状態。ここ数日はこんな状態が続いています。K新聞の12本の原稿と8本の原稿、S新聞の代々木と荒川の原稿が残っているという状態です。血圧は上が150・下が107。仕事がスローペースになっているからか下がってきているな。

2018/04/07 (SAT)
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リスト作成10周年企画 第1回 偉人部門
土曜の朝に存命人物リスト作成10周年記念企画の第1回目を更新する予定が、普通の日記を書く時よりも、はるかに時間がかかって間に合わなかった。30分あれば更新できるだろうと思ったら全然足りなかった。まずは金曜の日常のことから書きますが、午前中はS新聞の依頼で代々木での取材。11時には取材を終えて、帰りにK新聞に寄って4月号の資料を受け取ってきました。12本の原稿と8本の原稿の合計20本の原稿を書くことになります。

金曜のうちにレイアウトだけでも終わらせたかったのに、前日の徹夜がたたって目が覚めたら夕方の6時だった。しかも、起きてからもグダグダして原稿は進んでいません。金曜の最大の収穫はK新聞に寄った際に、3月中旬から借りていた一眼レフカメラを返せたことだった。

はい日常報告は終了、というわけで10周年企画として、存命有名人の10年の変化を振り返りますが、第1回目は偉人部門となります。ちなみに企画の時は日記のタイトルのチャージマン研はお休みです。チャー研のタイトルを考えるのが難しかったので、ちょうど良かった。さて偉人部門に関しては、世界&日本最高齢の人物、日本の皇族、日本のノーベル賞受賞者、その他の偉い人の詰め合わせセットになります。

現在、世界最高齢の人物は19世紀最後の1人にして1900年生まれの田島ナビさん、世界最高齢の男性は1905年生まれの野中正造さんで、どちらも日本人です。他のジャンルでは誰かが亡くなる度にリストの人物は減っていきますが、最高齢に関しては亡くなった時点で2位の人物が繰り上がるので減ることはありません。世界最高齢ともなると115歳ぐらいが普通なので、10年前から次々と変わってきたわけで、リストを作成した時の世界最高齢は1893年生まれのエドナ・パーカーさんで、そこから10年間で14人も世界最高齢の人は変わりました。

続いて日本の皇族ですが、10年前にリストを作った際に最高齢だったのは、元皇族で1910年生まれの東伏見慈洽氏でした。その東伏見慈洽氏も2014年に逝去され、現皇族も10年間で三笠宮崇仁親王、寛仁親王、桂宮宜仁様が逝去されました。なお、10年前はリストに入っていませんでしたが、現在の天皇陛下の姉である池田厚子氏と妹の島津貴子氏をリストに加えました。

続いて日本人のノーベル賞受賞者ですが10年間で亡くなられたのは南部陽一郎氏のみ。一方、10年間で11人の日本人がノーベル賞を受賞したので一気に増えました。10年間でリストの人数が減らずに爆発的に増えたのは、数あるジャンルの中でも日本人のノーベル賞受賞者のみです。10年前は6人しかいなかったのに現在は18人だよ。ちなみに大江健三郎氏は国内作家部門に入っているので、ここには含めません。

その他の偉い人というのは英国王室やローマ法王、歴代国連事務総長などですが、10年前にリストに入れた10名の中で、亡くなられたのは元国連事務総長のブトロス=ガーリ氏のみです。ローマ法王は存命のまま交替したので1人増え、国連事務総長も昨年に交替したので1人増え、さらにツツ大主教をリストに加えたので、3人増えて1人減ったことになります。

こんな感じでジャンルごとに、10年間の変化を記録していきます。第1回目の偉人部門は色んなジャンルの人が混ざっているので、少しややこしくなりました。というわけで2回目は国内政治家部門となります。

2018/04/06 (FRI)
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10周年への贈り物
えーと、水曜と木曜の2日間ですが、取材もなかったので残っていたS新聞の大和の原稿を書き続けた2日間でした。それほど大変な原稿ではなかったのに丸2日かかったよ。しかも、木曜は徹夜して完成したのは金曜の朝だ。頑張って水曜に終わらせれば、木曜が丸ごと休みになったのに。

これで金曜も取材がなければ久しぶりの完全休暇になったのに、あと1時間半で取材に出かけるし、その帰りにK新聞に立ち寄って資料を受け取ることになっているので、そこから4月号の原稿がスタートだ。原稿をスローペースで進めた自分のせいではありますが、なかなか休みがこないな。そして徹夜したせいで、トップバリューの長崎ちゃんぽんを食べてしまった。

さて、ここで穴埋め企画というか、10周年企画の予告編をさせていただきます。自分は、存命の著名人を全28ジャンルに分けて年齢順にExcelでまとめています。それを作成したのが2008年6月ぐらいで、今から10年前になります。そこで10年間で、それぞれのジャンルがどれだけ変貌したか綴っていきたいと思います。

実は去年ぐらいにやろうと思ったのですが、来年で10年だから区切りの良いところまで待つことにしました。最近は忙しくて穴埋め企画を書く機会も少ないので、本当に何も無い時にだけ書いていたら足かけ数年の企画になってしまいます。できれば2〜3ヶ月で終わらせたいので、仕事があってもトラブルなど無く平穏な時には10周年企画を進めたいと思います。

そして今回は予告編だけ。どうしてかというと予告編と第1回を一緒にしたら、かなり長くなってしまうため。第1回の分量を減らすため、企画の趣旨だけ説明させていただきました。次回、第1回目のジャンルは偉人部門となります。

2018/04/05 (THU)
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小田急線 大和に突っ込め!
火曜はS新聞の依頼で大和での取材でした。昼からの取材だったので朝10時ぐらいに家を出ましたが、小田急線が遅れている。その情報はネットで見て知っていましたが、常磐線で朝7時に起こったドア故障の影響が、そこまで大きいとは思わなかった。ほとんど正常時刻に戻っているだろうと思ったら15分ぐらい遅れていた。かねてから思っているが、JRや私鉄が乗り入れるようになってからトラブルが多すぎ。常磐線の事故の影響を小田急線が受けるというのが納得できない。

まあ、大和に着いてから昼食をとる予定でいたので、昼食を我慢すれば取材に間に合います。コンビニでおにぎりを1個だけ買って歩きながら昼食を済ませました。そして、今回の取材で大変だったのでは、取材で来たのに参加者と同じように発表させられたこと。発表者は7月10日生まれの人ということで365分の1の確率で大当たり。しかも、10人の発表者の中で最後ということで大トリを務めさせられました。

とにかく取材を終えて帰路に着きましたが、大和駅って相鉄の改札を抜けて、目の前の小田急の改札を抜けるという2連続改札通過があるんだな。新幹線の改札を出た後に、JRの改札を通ることもあるけれど、それだって改札は離れているじゃない。連続して2つの改札を通るのは珍しいんじゃないかな。

さて、取材を終えて帰ってきたのはいいけれど相変わらずグダグダな状態。まあ、馬喰町の原稿の先方確認の返事が届いたのが大きな収穫かな。それ以外はグダグダしているうちに水曜になってしまい、これではいかんと御茶ノ水の原稿を完成させてから日記を更新しています。これでストッパーになっていた馬喰町と御茶ノ水の両方の原稿が終わりました。残っているのは取材したばかりの大和の原稿のみ。

2018/04/03 (TUE)
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やる気をなくした中年
4月になり、年度も改まったことで日記のタイトルを変更。チャージマン研!のタイトルのパロディでいきます。お気に入り作品でありながらチャー研の存在を忘れていましたが、そもそも最近は統一タイトルか名言タイトルばかりでパロディタイトルが久しぶりだ。なお、1日だけは日記をとばさずにしっかりとつけることを自分のルールとして決めていたのに、3日の朝になってから1日と2日の日記をまとめて更新します。ボルガ博士、お許しください。

さて、S新聞が金曜に完成してから、比較的ぬるい日が続いていますが、今一つ気力が高まらない。土曜は花見があったから仕方がないけど、日曜もグダグダだった。K新聞の馬喰町と御茶ノ水の原稿が残っているのに、なかなか取り掛かる気にならない。日曜はコインランドリーでたまった洗濯物を片付けるのがやっとだった。

日付を越えて月曜の明け方になってから、やっと馬喰町の原稿に着手。この馬喰町の原稿が月曜の午後になってから完成しました。まだ、先方確認の返事が届いていないので、手を離れたわけではありませんが。この勢いで御茶ノ水の原稿も終わらせようと思ったのに、そこで力尽きて火曜の朝といったところ。火曜はS新聞の取材が入っているので、それまでに片付けておきたかったのだが…

月曜の明け方に馬喰町の原稿を書いている時に低カロリーのカップヌードル ナイスをいただきました。随分と前に買っておいたもので、1週間ぶりのカップめん。S新聞の制作中は印刷所で力を出し尽くして朝まで眠ってしまう毎日だったのでカップめんが制限できました。血圧は上が162・下が118。普通の人からすると高めなのに、これぐらいだと低いと感じるようになった。

2018/04/02 (MON)
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Writer: 野鉄砲