楽●天 :

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野鉄砲の平穏なる日常
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DKLog.JP::Diaryあしあと

■ 2018/06/18 おひさしぶりです
■ 2018/06/13 おいしかったよ
■ 2018/06/12 おそかったね
■ 2018/06/11 むかしだな
■ 2018/06/10 あわただしいな
■ 2018/06/08 ひかえめだよ
■ 2018/06/06 リスト作成10周年企画 第15回 国内女性歌手部門
■ 2018/06/05 まちがえた
■ 2018/06/04 ねむたいよ
■ 2018/06/03 いそがしいね
■ 2018/06/02 リスト作成10周年企画 第14回 国内男性歌手部門
■ 2018/06/01 つかれちゃったよ

おひさしぶりです
久しぶりの日記更新となってしまった。単に忙しかっただけなのだが、木曜から月曜まで日記の間隔が空いてしまった。細かく書いていると長くなるので5日間の概要を書いていきましょう。

木曜から、たまっている原稿に着手。お台場その1から取り掛かりましたが、ここでK新聞が水曜に完成していなかったということが足かせになりました。自分の役割は水曜で終えたとはいえ、新聞が完成していなかったことが気になったので、サーバ経由で自宅で校正。夕方になってから新聞は完成しましたが、このため原稿はほとんど進みませんでした。

金曜もひたすら原稿を書き続けたものの、お台場その1は終わらず。すでに金曜に何があったか記憶が薄れている。というわけで何も原稿が終わらないまま土曜日に。土曜はK新聞の依頼で永田町で取材。永田町といっても政治とは全く関係ありません。この取材が長かったこともあり、この時点で原稿は一つも終わらず。

木金土の3日間で原稿が一つも終わらないまま日曜に突入。日曜の午前中にやっとお台場その1が終わりました。一つ終わってコツがつかめたので、夜10時にお台場その2が完成。ここで6時間に1本のペースで完成させれば月曜の朝までにお台場の原稿が片付くことになる。しかし、ダメだ。やはり1本完成させるのに8〜9時間かかる。徹夜してお台場その3は完成したけれど、ここで月曜の朝を迎えます。

月曜の朝に日記を更新したかったけれど、お台場その3が完成した時点で出かけるまで5分しかなかったので断念。月曜はS新聞の依頼で午前中からテレコムセンターでの取材。そして午後からは同じくS新聞の依頼で表参道での取材。夕方6時に帰ってきて続きに取り掛かろうとしたのに前日の徹夜がたたって火曜の朝まで眠ってしまった。日曜に遅れを取り戻したと思ったのに、ここでロスをくらってしまった。

はい、そんなわけでお台場の原稿に追われた5日間でした。K新聞はお台場その4の他には、三軒茶屋と永田町の原稿が残っています。そしてS新聞は日暮里、テレコムセンター、表参道の3本の原稿があります。ここで火曜と水曜の2日間は取材がないので、残りの原稿を片付けていかねばなりませんな。

生活リズムがメチャクチャなので、食生活も乱れまくりだった。ほとんど毎日、カップめんを食べた気もするけれど覚えていない。特筆すべきは「チャルメラ 油そばカップ」を食べたことか。これは、ほとんどカップ焼きそばの封印をやぶったようなものだな。これは焼きそばじゃないという言い訳は通じないな。




2018/06/18 (MON)
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おいしかったよ
水曜も引き続きK新聞にて6月号の校正。今回の校正でいつもと違うのは、今日で新聞が完成しないこと。いつもならば新聞の完成を見届けてから引き上げますが、今回は最後まで頑張っても新聞の完成は明日に持ち越しとなります。

というわけで夜7時まで校正して、とりあえず全部のページを校正したところで帰ってきました。いつもなら夜9時まで残って校正を終わらせるところですが、これ以上残ったところで少しずつ作業は進むにしても、やるべきことがない時間が長すぎるので帰るしかありません。

夜8時に家に帰ってきましたが、K新聞の場合、自宅からでもサーバを経由して校正することは可能です。帰ってきてから3ページ分が出てきましたが、2ページ分を校正したところで力尽きて眠ってしまったようです。午前4時にパソコンが更新されて再起動したらしく、起動音に起こされました。

眠ってしまったため校正できなかった1ページを校正して、とりあえず一段落。新聞の完成は木曜なので会社では作業が進んでいるはずですが、自分は自宅でちょっと確認する程度です。さて、こうしてK新聞の制作はひとまず区切りがついたとして、問題はお台場その1からその4と三軒茶屋の原稿です。それとS新聞の日暮里の原稿もあるけれど、これは後回し。

木曜と金曜は取材がないので、この2日間でどれだけ進められるかが勝負の分かれ目。ここで頑張らないと土曜の取材で、さらに蓄積されてしまう。なお、木曜の明け方、校正している時にマルちゃんの「おそば屋さんの鴨だしそば」をいただきました。日清の「鴨だしそば」を買うつもりが間違えて買ってしまった。麺やつゆは日清の方がおいしいかなと思って食べていたら、肉がおいしかった。マルちゃんの方が味が濃いけれど、それが肉にしみわたっている。

2018/06/13 (WED)
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おそかったね
火曜は新聞の校正のためK新聞へ。今回も火曜と水曜の2日間で新聞を完成させます…ではなく、今回の完成は木曜になると聞きました。ただし、基本的に水曜までにほとんど完成させて、最終的に木曜に担当さんが印刷所に行って完成させるそうです。自分は木曜に手伝う必要はなさそうなので、やっぱり火曜と水曜が校正ということに変わりありません。

とにかく火曜の校正をスタート。何が大変かって、いつもは8ページのところ今回は10ページだということ。この2ページの多さが完成が木曜にズレた理由でもあります。そして、ページが増えただけでなく、かなり校正の大変なページが2ページほどある。このページの校正に随分と時間がとられました。

そして10ページのうち8ページを校正して帰宅。いつも校正1日目は8ページのうち6〜7ページを校正しているので、1日で8ページの校正がいかに大変かがわかる。6ページぐらい校正したところでフラフラだったので、帰ろうかと迷ったけれど、さすがに残り4ページでは帰れない。やはり校正2日目までに残り2ページぐらいに減らしておかないと。

自分は会社のカギを持っていないので、誰か残っていないと作業を続けられませんが、担当さんが残っているので、それならばと校正を続けました。8ページ目の校正を終えて、会社を後にしたのが夜10時半。担当さんもそろそろ引き上げるというので、残り2ページならば大丈夫だろうと帰路に着きました。

いつも校正の後は疲れ切ってしまい、帰ってから仕事にならないのに、いつもより多く校正して家に着いたのが夜11時過ぎでは、仕事になるわけがない。夕食もとっていなかったので、遅めの夕食をとったら眠ってしまい、ふと目が覚めたら午前4時半。目覚ましをかけなくても、いつもこの時間に目が覚める。

とはいえ朝4時半に起き上がることができず、次に目が覚めたのは目覚ましをかけておいた朝6時。いや、そこから原稿を書くのは不可能だ。とにかくたまっている原稿を片付けるのは、水曜の校正を終えてからだな(完成は木曜なんだけどね)。血圧は上が154・下が112。思ったよりは高くないな。

2018/06/12 (TUE)
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むかしだな
月曜は午後からS新聞の依頼で日暮里での取材。これで木曜から5日連続の取材が続いております。まあ、月曜の取材は午後3時から5時までの2時間で短いのは救いでありますが。大変だったのは取材よりも帰りの電車のトラブル。電車の架線にビニールが貼りついての遅れでしたが、そのため秋葉原駅が大混雑。湘南新宿ライナー、東武東上線、地下鉄有楽町線など首都圏のダイヤが色々と乱れていたせいもあってか電車が激コミでした。

さて、取材を終えて帰ってきたところで書くべき原稿は山ほどありますが、その前に火曜からのK新聞の校正に備えて、自分が書いた12本と8本の原稿だけでも自宅で校正しておかねばなりませぬ。その校正だけは終わらせたものの、原稿を書くだけの時間はない。お台場の原稿は、その1だけでも終わらせておきたかったのに、書くべき原稿が増える一方だ。

6日前の存命人物リストの日記で国内女性歌手について触れましたが、この10年間で亡くなられた国内女性歌手は8名で多ジャンルに比べれば少ないことを書きましたが、森田童子さんが4月に亡くなられていたそうなので9名でした。高校教師の主題歌で話題になりましたが、その高校教師も25年前のドラマというのが恐ろしい。追記、火曜の明け方に校正しながら「赤いきつね」を食べてしまった。トップバリューのきつねうどんを食べることが多いので「赤いきつね」は久しぶり。

2018/06/11 (MON)
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あわただしいな
何だか時間の感覚が少しおかしい。とりあえず月曜の朝になったところで土日の日記を更新しておきましょう。というわけで土曜日は前回の日記にも書いたように、昼食にカップめんを食べてから午後はK新聞の依頼でお台場での取材。木曜に取材して1日あけてから土曜日も再びお台場での取材。ちなにも金曜もS新聞の依頼が無かったら3日連続でお台場の取材になるところでした。

木曜と同じく土曜も2つのセミナーを取材。1つ目と2つ目の間は、前回はベローチェでミルクレープをいただきましたが、今回はおなかが空いたので、かま玉うどんを食べてしまいました。そして土日はお台場から直行のバスがあるのでバスで帰宅。ちなみに行きはバスが遅れたりするのが怖くて、普通にゆりかもめを使いました。

お台場の取材を終えて帰ってきてからは、S新聞で唯一残っていた水道橋の原稿に着手。S新聞の原稿を片付けてスッキリさせてからK新聞の原稿に取り掛かる予定です。しかし、日曜の取材の前に水道橋の原稿は完成せず。この水道橋の原稿が最も手間がかかりそうだったので後回しにしていたわけです。

そして日曜は午後からK新聞の依頼で三軒茶屋での取材。土日も取材の時は多いのですが、土日の両方が取材というのも珍しい。なお金曜に駒沢大学駅まで行きましたが、三軒茶屋はその一つ前です。今回は行きも帰りも錦糸町から田園都市線を利用して、乗り換えを少なくすることで睡眠時間を確保しました。

そして三軒茶屋の取材を終えて帰ってきたところでS新聞の水道橋の原稿は完成。これでS新聞の原稿が片付いたので、残すはK新聞のお台場その1、お台場その2、お台場その3、お台場その4、三軒茶屋の5本の原稿が残っています。そんな土日でしたが、しっかり睡眠時間はとっているけれど何時から何時まで寝たのか自分でも良く分からない。なお月曜の明け方にカップめんの「カレーうどん」を食べてしまった。

2018/06/10 (SUN)
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ひかえめだよ
ちょっと忙しい日々が続いておりますが、ここで木曜と金曜の日記を更新しておきましょう。木曜は明け方から関内の原稿を進めてましたが、午後からK新聞の依頼でお台場での取材。複数のセミナーが行われますが、危うく違うセミナーを取材するところだった。ギリギリのところで気が付いて正しいセミナーを取材しましたが危なかったな。

2つのセミナーを取材しましたが、一つ目と二つ目のセミナーの間に1時間の空き時間があったので、お台場のベローチェでミルクレープをいただきながら休憩。オシャレな感じに書いてますがミルクレープなんて久しぶりに食べたし、上手に食べるのが難しい。

お台場の取材を終えて、帰ってきたのは夜7時頃。そこから関内の原稿を書き上げて、蒲田の原稿を途中まで書いたところで力が尽きたので金曜に続く。というわけで金曜はS新聞の依頼で駒沢公園での取材。1年ぶりの駒沢公園ですが、なんだか1年前でなく、つい最近のような気がする。ちなみに駒沢公園の取材がなければ金曜も土曜も3日連続で、お台場取材になるところだった。お台場よりは駒沢公園の取材の方が楽なので、取材が入っていたことで楽ができたという珍しいパターンだ。

駒沢公園の取材を終えて、帰ってきてから色々と片付けることがあって、そんなことをしているうちに寝てしまった。土曜の午前4時に起きてから蒲田の原稿を書き上げて、さらに取材したばかりの駒沢公園の原稿も完成。これでS新聞で残っているのは水道橋の原稿のみ。それよりもK新聞のお台場の原稿が大変。土曜もこれからお台場の取材なわけで、木曜と土曜の取材を合わせて、お台場その1からその4までになります。

カップめんは我慢していたのに、またもや買い物に出かける余裕もなく、土曜の昼食代わりに買い置きしておいたエースコック「鴨南蛮そば」を食べてしまった。血圧が高めの人向けにGAVA配合で塩分控えめと書いてあるからいいよね。

2018/06/08 (FRI)
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リスト作成10周年企画 第15回 国内女性歌手部門
水曜日ですが、K新聞の12本の原稿は夕方には書き終えて印刷所に入稿。これで金曜にK新聞で受け取った原稿は、すべて片付いたことになります。続いてS新聞の原稿になりますが、夜9時ぐらいには寝ちゃったのかな。夜中の12時半ぐらいに起きた時にはグッスリと眠った感覚がありました。そこから原稿に取り掛かり、後回しにしておいた丸の内の原稿は完成。しかし、終わったのはここまで、水道橋、関内、蒲田の原稿が残っています。もう1〜2本は終わらせる予定だったのに、明け方に再び寝てしまった。

さて、あまり時間はないけれど存命人物リスト作成10周年企画で国内女性歌手部門を書いておきます。この10年間で亡くなられた国内女性歌手は8名。戦後に20代前半で歌手としてデビューしても90歳代なので、他の部門と比べて平均年齢が若いため物故者が少なくなります。

リスト作成時の最高齢者で2011年に亡くなるまで1位だったのが、戦前から活躍し、第1回から第10階の紅白歌合戦に連続出場した二葉あき子さん。1915年生まれでダントツの最高齢者でした。苗字が同じなので混同しますが「岸壁の母」を歌った二葉百合子さんはご存命で現在4位です。

二葉あき子さんが亡くなられてから現在まで1位を続けているのが1927年生まれで第1回紅白歌合戦出場者の中で唯一の存命者である菅原都々子さん。ヒット曲の「月がとっても青いから」は自分もよく知ってます。ちなみに、その前の1位だった二葉あき子さんとは12歳差なので、いかに二葉あき子さんがダントツの1位だったかが分かります。

10年間で亡くなられたのは8名ですが、そのうちの2名がザ・ピーナッツの2人です。特撮マニアからすればモスラの小美人で知られています。1941年生まれで、まだ亡くなるような歳でも無かったのですが、昭和歌謡の歴史が散ったような思いです。残りの5名も名前を挙げておきますが、藤圭子、島倉千代子、安西マリア、日吉ミミ、ペギー葉山となり、かなりの大物が亡くなられたことが分かります。

国内女性歌手で現在リストに入っているのは71名。リスト作成時には入れてなかった、楠トシエ、安藤まり子、前川陽子、安室奈美恵などを加えているので、亡くなられた人と新たに加えた人がほぼ同数でリストの人数に大きな変動が無い部門であります。次回は海外歌手部門となります。

2018/06/06 (WED)
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まちがえた
火曜もS新聞の依頼での取材となりますが、S新聞のもう一人のライターさんが従兄弟が亡くなられたとかで長野に帰っているため、その人の代わりでの取材です。それが無ければ休みだったわけでなく、月曜の水道橋の取材は本来は2日連続のイベントなので、そっちに行っていたはずです。

というわけで横浜の関内での取材となりますが、これが午前10時から午後5時までの長い取材です。最初から最後までビッシリと取材する必要はんく、途中で1時間ぐらい休憩しましたが、それでも長い。終わった頃にはかなりグッタリしていました。

そして夕方5時に関内での取材を終えたところで帰れるわけではなく次の取材が待っています。次は6時半から蒲田での取材となりますが、関内から蒲田だと京浜東北線で乗り換えなしで行けるのが助かる。しかも5時に関内での取材を終えて、蒲田には5時半ぐらいに着いたので、ここで1時間ぐらい休憩できる。

蒲田駅近くのドトールに入り、時間つぶしとして、上巻を読み終わったばかりの島田荘司「写楽 閉じた国の幻」の続きを読もうと、下巻を出そうとしたら上巻が出てきたのはビックリだ。上巻と間違えて下巻を持ってきてしまったのか、それともブックオフで上巻だけ2冊買ってしまったのか、いずれにしてもガックリきた。結論から言うと、帰ったら下巻が置いてあったので、いつの間にか上巻と下巻が入れ替わっていたらしい。

蒲田駅の取材を夜8時に終えて、帰ってきたのは夜9時頃。K新聞の原稿のうち受け取っていなかった最後の1本の原稿もメールで届いていました。それでは12本の原稿のうち残り8本を書き上げるのみ…といったところですが、朝7時までグッスリと眠ってしまった。朝4時に目覚ましをセットしておいたのに全く起きることができなかった。関内での取材のダメージがかなり大きかったらしい。

というわけで今週は水曜だけ取材のない日なので、落ち着いて日記を更新。まず12本の原稿のページを終わらせますが、そうこうしているうちにS新聞の原稿が丸の内、水道橋、関内、蒲田と4つもたまってしまった。木曜から忙しくなるので、水曜のうちに少しでも減らしていかなれければ。

血圧は上が161・下が108。まあ、相変わらず高めではあるので、もう少し下げたいけれど、ここからが難しい。

2018/06/05 (TUE)
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ねむたいよ
月曜と火曜の2日間ですが、いつものように2日分をまとめて更新してもよいのですが、火曜の内容が濃すぎるので分けて更新します。というわけで、まずは月曜の日記です。

K新聞で書くべきは12本の原稿と8本の原稿。そのうち8本の原稿を月曜の朝に書き上げたのは前回の日記で書きました。そして月曜はS新聞の依頼で正午から水道橋での取材となります。正確には丸ノ内線の後楽園駅が最も近いのですが、水道橋駅から歩くので水道橋の取材としておきましょう。

前日にほとんど寝ていなかったため、途中でかなりウトウトしてしまった。眠ってしまうと相手に一発でバレてしまうような取材もありますが、今回は座っている場所からして見つからないのを良いことに睡眠不足を解消させていただきました。

夕方5時に取材を終えて、家に帰る前にK新聞に寄って、土曜に受け取った原稿の中で、まだ準備ができていなかった4本の原稿のうち3本を受け取ってきました。最後の1本は後回しですが、1本だけならメールでも受け取れるので大丈夫です。

そして帰ってきたところで、月曜の朝に書き上げた8本の原稿のページを印刷所に入稿。次は12本の原稿になりますが、12本のうち4本が終わって残り8本。頑張ればもう少し進めることができたのに前日からの寝不足がたたって仕事にならず。なお、火曜の明け方にはトップバリューの長崎ちゃんぽんを食べてしまった。ここから先は火曜の日記に続きます。

2018/06/04 (MON)
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いそがしいね
2日連続で10周年企画を書くつもりだったのに時間がなくなってしまった。というわけで普通の日曜の日記を書きます。土曜にゆっくり休んで疲れは解消されたものの日曜になっても少しだるい。それでも抱えている原稿を片付けていかなければなりません。

当初は後回しにしておいたS新聞の丸の内の原稿を先に片付ける予定でしたが土曜にゆっくりと休みすぎた。日曜にコインランドリーで洗濯をしたせいでもあるけれど、ここで洗濯しないと着る服がもうないからな。

さて、K新聞の原稿を進めていかないと間に合わないことに気が付いて丸の内の原稿はまたもや後回しに。K新聞では2ページ分の資料を受け取ってきて、それぞれ12本と8本になります。そのうち8本の原稿が月曜の午前中になってから完成したので、とりあえず日記の更新です。

12本の原稿は数えてみると8本しかない。そこで確認してみると全部用意するのが間に合わなかったので、とりあえず先に8本を渡したということでした。残り4本は後から受け取ることになります。そんな状況ですが月曜も昼から取材なので、そろそろ出かけなければなりません。10周年企画の日記を書くと30分ぐらいかかるので、あと10分で出かけるとなる普通の日記しか書いている余裕がない。

それほど急ぎの原稿ではないので、無理して明け方から原稿を進める必要はなく、そのためカップめんを食べる必要はありませんでしたが、月曜の昼食を買いに行く余裕が無く、昼食に買い置きしておいたトップバリューの「天ぷらそば」を食べることになりました。

2018/06/03 (SUN)
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リスト作成10周年企画 第14回 国内男性歌手部門
昨日で新聞は完成したけれど、色々と片付けるべきことが多かったわけで、まだK新聞の原稿に取り掛かることができません。それでも片付けはだいたい終わったので、やっと原稿に取り掛かれるかな。その前に後回しにしていたS新聞の丸の内の原稿を書こうかと思っているわけですが…。ちなみに随分と眠ったつもりだったのに、午後2時から午後5時まで昼寝してしまった。まだ疲れが抜けきっていなかったらしい。

さて、それでは久しぶりに存命人物リスト作成10周年企画で第14回目は国内男性歌手部門です。男性歌手といえば最近では西城秀樹さんが亡くなられたのがショックでした。新御三家から亡くなる人が出るとは思わなかった。

この10年間で亡くなられた国内男性歌手は29名。男性歌手は自分が生まれる前にヒット曲をとばして自分が物心がつく時にはテレビで見なくなっていた人と、自分が子供の頃から良く知っている人に分かれます。その区切りとなるのが現在はリストの3位に入っている菅原洋一さん。これ以降の人は自分が良く知っている人で、それより前が昭和30年代とかに活躍した歌手となります。

リスト作成時に最高齢だったのが2009年に99歳で亡くなられた1910年生まれの小野巡さん。昭和20年代には引退されているということで、かなり年配の方でないと知らないはずです。その後は1919年生まれで2013年に亡くなられたバタやんこと田端義夫さんが最高齢でした。バタやんは知っている人は知ってますよね。

バタやんが亡くなられてから現在に至るまで1928年生まれの三浦洸一さんが最高齢です。三浦さんも自分が生まれる前に活躍された方ですが、1983年ぐらいに「笑っていいとも」のレギュラーになったので面白いおじさんとしてインプットされています。基準にした菅原洋一さんよりも年上なのは三浦さんの他は2位の曽根史郎さんのみ。曽根さんは最近になってリストに加えましたが、「若いお巡りさん」はなぜか良く知っています。

自分が生まれる前の歌を良く知っているの、大正生まれのじいさんが良く歌っていたからです。そういう意味では、やはり最近になってリストに加えた16位の一節太郎さんも名前を聞いてもピンとこないけれど「浪曲子守唄」はものすごく良く知っています。

この10年間で亡くなった国内男性歌手を見て感じるのはグループサウンズ関係の人が随分と亡くなったということ。リストを作成する前からアイ高野さん、鈴木ヒロミツさんが亡くなるなど、2006年ぐらいからグループサウンズ関係者の訃報が目立ち始めましたが、その後もデイヴ平尾、大口広司、岡本信、ジョー山中、柳ジョージ、安岡力也、ジョニー吉長、渡辺茂樹、加瀬邦彦、かまやつひろし、井上堯之と亡くなり29人のうち3分の1以上にあたる11人はグループサウンズ関係者です。

それ以外にはフランク永井、忌野清志郎、加藤和彦、尾崎紀世彦、大瀧詠一、やしきたかじん、はしだのりひこなど亡くなられたことにショックを受けた人がいます。オバケのQ太郎、クレクレタコラ、ど根性ガエルなどを歌った石川進さんも個人的には亡くなられたことがショックな人です。

国内男性歌手部門は現在112名。1940年代や1950年代生まれが多く、比較的平均年齢が若い分野です。ちょっと変わったところではスパイダースの加藤充さんはリスト作成時は1938年生まれだったのに、1934年生まれに修正されて一気に5位まで順位が上がってしまった。それと4位のアイ・ジョージは歌手よりも仕事人大集合のラスボスのイメージが強い。次回は国内女性歌手部門となります。

2018/06/02 (SAT)
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つかれちゃったよ
6月になったところで日記のタイトルですが、森博嗣のウォーカーシリーズにならって「○○のか?」の疑問形で統一しようと思った、かつて必殺仕事人前期のタイトルで疑問形はやってるな。というわけで1989年に放送されたNHK教育テレビの子供番組「やっぱりヤンチャー」から幼児語のひらがなタイトルで統一します。しかし、見たこともない番組なのに、そのタイトルの存在にどうして自分が気付いたのか覚えていない。

というわけで木曜に新聞が完成しなかったので金曜も印刷所へ。火曜の段階で社長が抱えていた10本の原稿のうち9本は受け取ったので残り1本。この原稿が届くのをヒヤヒヤしながら待ってました。そして原稿がFAXで届いたのが午後1時半。急いでWordで打ち直して入力しました。しかし、火曜の段階で10本の原稿が残っていたのに、それを3日半で書いてしまう83歳というのもすごいな。

こうして夕方5時過ぎに新聞が完成。いつものパターンで印刷が始まるまで待っていましたが、6時近くになっても印刷が始まらず、他にも用事があったので何か問題があったらケータイに連絡してもらうよう伝えて印刷所を後にしました。

そして家に帰る途中で立ち寄ったのがK新聞なわけで、ここで資料を受け取ることでK新聞の9月号が動き出します。S新聞が完成して1時間後にK新聞が動き出すという見事なまでの連携プレーです。こうして家に帰ってきたのは夜7時半ぐらいだったかな。いつの間に眠ってしまったのか覚えていませんが、ぐっすり眠った気がして目が覚めたのが夜12時でした。しかし、それで起きることができずに二度寝して朝5時に起きた時は、もう寝る気になれませんでした。9時間半も寝たんだから当たり前か。

さて、というわけでK新聞の原稿を片付けなければいけませんが、その前に片付けるべき雑事が山ほどある。S新聞の次の号の準備というのが優先事項ですが、終わった号の資料を処分したところで日記を更新しています。まだ、途中なのでもう少し作業を続けます。K新聞の原稿に取り掛かれるのは、いつになるだろうか。

2018/06/01 (FRI)
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Writer: 野鉄砲