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野鉄砲の平穏なる日常
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DKLog.JP::Diaryあしあと

■ 2018/09/18 思い出せない男
■ 2018/09/17 戻ってきた男
■ 2018/09/16 チケットをとる男
■ 2018/09/15 帰ってきた男

思い出せない男
今日は母親からの電話で起こされたけれど、朝9時まで眠ってしまうとは思わなかった。病院では夜8時ぐらいに眠って、深夜に1〜2回は起きてたし、午前6時には看護婦さんがカーテンを開けに来るから、てっきり起きる習慣がついたと思っていたのに。

そして、連休が明けたところでK新聞がメールの設定を変えたので、メールを受信できるように確認。土曜日にも病院から電話しましたが、やはりパソコンを見ながらじゃなければ無理とのことで連休明けをまっていました。苦労しながらメールがつながるようになったけれど、復活したメールは1週間前のメールまでだ。

さて、入院している間に免許が切れちゃったけれど、今日は免許を更新するための住民票をとってきました。そして、念のため写真を撮っておこうと思って、あの自分で取るやつにチャレンジしたけれど、最初はブラックジャックみたいに頭の半分が白髪になったぞ。鏡の部分が汚れているから拭き取らなければいけないとは思わなかった。

住民票を受け取る時、財布の中に保険証が入っていると思ったのにないからあせったよ。いや、財布の中に入っていたけれど、家に帰ってきてから再びないと思ったら財布の中に入ってたよ。こういうところが回復していないところなんだよな。

K新聞の追加の1ページ分は少しずつ進めているけれど、20本中16本が終わって残り4本。それとS新聞の松戸の原稿はK新聞の原稿が片付いてからだな。




2018/09/18 (TUE)
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戻ってきた男
退院して3日目で取材が入っているのだが、これが松戸という点が少し問題がある。松戸に行くためには北千住に出るため、これまで入院していた鐘ヶ淵を通るんだよな。なぜ1年に2〜3回も乗らないルートを通らなきゃならんのか。

というわけで2日前まで入院していた病院を後にして松戸に到着。この取材が大変なのは、大勢の前であいさつする必要があることで、頭が真っ白になってメチャクチャになった気もするけれど、騒ぎにならなかったから、そうでも無かったか。

この最初の挨拶以外は、それほど大変なことは無かったけれど、終了が夕方5時だから、復帰第一弾の取材としては時間が長いな。終わった時には、さすがにヘロヘロだった。帰りも病院の前を通ってきたけれど、そんなことを考える余裕も無いぐらいグロッキーだった。

2018/09/17 (MON)
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チケットをとる男
こっちの世界に帰ってきてから1日目は未読だったメールの整理から始まる。といっても、自分個人のメールは昨日で整理が終わったので、S新聞のヤフーメールの整理からはじめたわかですが、午前6時から始めた作業が午前11時までかかるとは思わなかった。

続いてS新聞で恒例となっている、1泊2日の取材のホテルと飛行機の予約をとっていかないといけません。2年前の高知、1年前の和歌山に続いて、今年は熊本。夜行バスに乗って和歌山に行ったのが、もう1年前になるのか。

今回は旅行代理店に頼んで、ホテルがセットのやつを頼もうと思ったら、帰りの10月8日の便がセットで安くなっているやつは品切れだ。亀戸の日本旅行がダメで、錦糸町のJTBがダメな時は、絶望感に苛まれたけれど、JTBの担当者がセットじゃないヤツで望みの便をとってくれた。まあ、お値段は高くなるけれど仕方ないでしょう。

このチケットを取り終わって帰ってきたのが夕方5時なんだけれど、どんだけチケットに時間をくったんだという話だ。その後はK新聞の追加の1ページ分を少し進めたところで、今日の1日はおしまい。

2018/09/16 (SUN)
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帰ってきた男
2か月半の長い入院生活から帰ってまいりました。さて、何をやらかしたかというと脳内の血管がブチ切れて脳内出血をやらかしたのです。血管が切れる直前に血圧が194を記録しているけれど、この後すぐに倒れちゃったんだな。日記に書き残していたことを忘れていたよ。

しかし、よく自分で救急車を呼んだと思うわけだが、パソコンのマウスを動かそうと思っても、何故かマウスをぐるぐる回しちゃうから、さすがにやばいと思ったか。119番をして初めてろれつが回っていないことに気付いたわけだが、どうにかギリギリで住所を言えて、救急車が来たから外に出たところで、アパートの階段で立てなくなっちゃったんだよな。救急隊の人に階段を降りなくていいと注意されたのを覚えている。

そこから先は意識はあるんだけどボーっとしている状態。何故か自分が運び込まれた病院を水道橋あたりの病院だと思い込んでいたけれど、家の近くの墨東病院だった。そして救急隊員か病院の人か分かんないけれど、ケータイの着信履歴からかけたのは、前日にケータイでやり取りをしていたS新聞の社長だった。

家族が駆け付けたのは倒れてから2日目のこと。その時の家族の話によると、けっこうしっかりしていようで、自分もしっかりしていた記憶があるけれど色々とおかしかったことが分かる。そして、オウム真理教の死刑が執行されたり、中国地方で大水害があったのは、この頃だけれどテレビもほとんど見なかった頃なので断片的な情報しか分かっていなかった。

そして墨東病院での入院が7月24日まで続き、7月25日からは東京都リハビリテーション病院でのリハビリとなる。転院する時は、ほとんど直っているのに転院かよと家族とも話していたのに、この転院してからが長かった。ちなみに自分の住所を書いた際に、まったくありえないアパート名を書いていることからも、やばかったことが分かる。

この病院は1日に3時間のリハビリで土日の休みも無いというので辛いところ。9月10日には退院できるだろうと思ったら、8月下旬に脳の写真を撮ったら、まだ10日は早いと言われてしまった。途中で試しにということで9月4日にS新聞の取材をしてきましたが、まさか原稿を手書きで書かされ、病院の先生にチェックされるとは思わなかった。

とにかく9月上旬の脳の写真の撮影では、問題個所が縮小傾向にあるということで退院が決定。9月15日に退院することができました。いや、2か月半の間、いろんなことがあったよ。とりあえずK新聞から取材の必要がない追加の1ページ分を引き受けたのと、S新聞から気楽にできるものということで17日の取材の依頼が来ています。

2018/09/15 (SAT)
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Writer: 野鉄砲