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「題詠マラソン」2003観戦記&2004拾い読み
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DKLog.JP::Diaryあしあと

■ 2004/03/31 マラソン2004 【ログ35より】(その1)
■ 2004/03/31 マラソン2004 【ログ34より】
■ 2004/03/29 マラソン2004 【ログ33より】
■ 2004/03/28 マラソン2004 【ログ32より】
■ 2004/03/27 マラソン2004 【ログ31より】
■ 2004/03/27 マラソン2004 【ログ30より】
■ 2004/03/26 マラソン2004 【ログ29より】(その2)
■ 2004/03/23 マラソン2004 【ログ29より】(その1)
■ 2004/03/22 マラソン2004 【ログ28より】
■ 2004/03/22 マラソン2004 【ログ27より】
■ 2004/03/21 マラソン2004 【ログ26より】
■ 2004/03/21 マラソン2004 【ログ25より】
■ 2004/03/20 マラソン2004 【ログ24より】
■ 2004/03/18 マラソン2004 【ログ23より】
■ 2004/03/17 マラソン2004 【ログ22より】
■ 2004/03/12 マラソン2004 【ログ21より】
■ 2004/03/11 マラソン2004 【ログ20より】
■ 2004/03/10 マラソン2004 【ログ19より】
■ 2004/03/09 マラソン2004 【ログ18より】
■ 2004/03/09 マラソン2004 【ログ17より】
■ 2004/03/09 マラソン2004 【ログ16より】
■ 2004/03/09 マラソン2004 【ログ15より】
■ 2004/03/09 マラソン2004 【ログ14より】
■ 2004/03/08 マラソン2004 【ログ13より】
■ 2004/03/08 マラソン2004 【ログ12より】
■ 2004/03/08 マラソン2004 【ログ11より】
■ 2004/03/08 マラソン2004 【ログ10より】
■ 2004/03/08 マラソン2004 【ログ9より】
■ 2004/03/08 マラソン2004 【ログ8より】
■ 2004/03/07 マラソン2004 【ログ7より】
■ 2004/03/07 マラソン2004 【ログ6より】
■ 2004/03/07 マラソン2004 【ログ5より】
■ 2004/03/06 マラソン2004 【ログ4より】
■ 2004/03/05 マラソン2004 【ログ3より】

マラソン2004 【ログ35より】(その1)
春風にぬるき麻酔をかけられて愛の痛みも感じずにいる  (051:痛) sei

上句の「春風にぬるき麻酔をかけられて」に、
五月の生温かい風を思い出して共感を覚えました。
春は恋の季節ですね。その後に悲しい別れが訪れるなんて
ことは誰も考えずに春の陽気に浮かれて恋に落ちてしまいます。
欲を言えば、この麻痺感覚を「ぬるき」と言わずに表現してほしかったです。


其の国の天気予報を伝えるは都知事の息子 安心できず  (002:安心) 池 まさよ

実際に石原良純さんが天気予報をしているのを見たことは
ありませんけれど、彼がなぜ気象に興味を持つようになったのか
を話していたのを聞いたことがあります。とても純粋な方で、 
僕は彼が天気予報を伝えていても安心できなくはないです。
それより、もしも石原慎太郎さんが都知事なんかよりも
気象予報士になって天気予報をやっていてくれたら、予報が
当たろうが当たるまいが安心できるのになあと思いました(笑)。


どの森を誰から逃げるつもりなの? 迷彩トランクスの尾形くん  (013:彩) 田丸まひる

トランクスの柄を知っているくらいの仲だから
きっとこの「尾形くん」は恋人なのでしょう。
皮肉たっぷりの上句から想像するに、彼女は彼の気持ちが
離れかけているのを敏感に感じ取っているようです。
「尾形くん」という突き放した言い方がとても効果的で、
そんな言い方とは裏腹の大好きで絶対に別れたくない
という彼女の気持ちがすごく伝わってきます。


お父さんはお父さんだからお父さんではない 哲学的捨て台詞かも  (030:捨て台詞) 櫂未知子

櫂さんは、100首すべてお父様を詠まれるようですね。
父親から「お父さんはお父さんだからお父さんではない」なんて
言われたら、ふつうの子供はあきれてしまうだけだと思います。
それを「哲学的捨て台詞かも」と思うところに
作中主体の父親に対する深い愛情を感じました。


ぎしぎしと木梯子登る望楼に見放くるをこそ故郷と呼べ  (023:望) 前野真左子

「故郷は遠くにありて思うもの」ですね。
「木梯子」「望楼」という語句や、「ぎしぎし」という擬音から
故郷への作中主体の強い思いを感じました。




2004/03/31 (WED)
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マラソン2004 【ログ34より】
そして 誰も いなく なって (ソラガ) ネット だけが 愛を 語る (アオイ)  (100:ネット) 南野耕平

いたずらに表記で遊んだり、表記に頼り過ぎている歌は
あんまり好きではないのですけれども、
この作品は、一字空けも、括弧の使用も、
括弧内の「ソラガ」「アオイ」というカタカナ表記も、
どれも非常に効果的だと思いました。


だれがどこへ向かうのだろうゆうぐれの交差点いま曲がる神姫バス  (008:姫) 日向寺みづほ

「神姫バス」という固有名詞が、なんでもない日常の風景を
魅力的な世界に変える変換装置として見事に機能していますね。


枕元をおほきな裸足が横切りて夜か、と問へば夜明けだ、と言ふ  (012:裸足) 高澤志帆

不思議な読後感の残る作品で印象に残りました。
横切っていった裸足の足の主は死者だと僕は解釈しました。
幽霊になって現れても、「もう夜明けだ」と言って追い返してしまう
くらいなので、生前からあまり好きではなかった人なのでしょう。
「おほきな裸足」からイメージするに父親なのかもしれません。


彩りとして添えられたキヌサヤのように会議の片隅にいる  (013:彩) 武田ますみ

発言の機会もなくただの人数合わせのために出席している会議。
莢ごと食べることのできる「キヌサヤ」に喩えられている
ことから入社間もない若手社員をイメージしました。 

2004/03/31 (WED)
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マラソン2004 【ログ33より】
「はいチーズ」撮つた写真は二枚ずつ焼き増して貼る二冊のアルバム  (010:チーズ) 高崎れい子

親の愛情いっぱいの歌ですね。
「あつくん」「ともちやん」の双子の
お子さんを詠まれた歌なんですね。


四股名にはあさがおおくて春場所に勝ちはた負くる朝のさまざま  (075:あさがお) 春畑 茜

大相撲を四股名に注目して歌にするなんて
目の付けどころが良いですね。
「あさがお」というお題の詠み込み方
にもユニークな工夫が見られます。
でも、題詠じゃなければ
「朝」と漢字にしたほうがいいでしょうね。
春場所では「朝青龍」「朝赤龍」の
モンゴル勢が大活躍でしたけれど、
やはり「朝」の付く四股名といえば、
彼らの師匠高砂親方の「朝潮」が印象に残っています。


ほそく降る四月の雨よほんとうのことは誰にも告げ得ぬままに  (076:降) 春畑 茜

雨の降る日は内省的になるものですね。
さらっとし過ぎていてちょっと物足りない感じもしましたけど、
静かに降る春の雨と作中主体の心情がぴったりとはまっている作品です。


身の内の水路を今夜ゆれながらあやうく進むゴンドラがある  (034:ゴンドラ) 五十嵐きよみ

こちらも、お題の「ゴンドラ」が喩としてぴったりはまっています。

2004/03/29 (MON)
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マラソン2004 【ログ32より】
それはたぶん 私の名前のようなので振り返り君の瞳みつめる  (005:名前) 佐藤佳子

名前を呼ばれて振り返った……、ただそれだけの場面なのに
こうして魅力的な作品になるんですね。


冴え冴えと月が照らせばおんな湯にいくつも浮かぶ良くないこころ  (050:おんな) 斉藤そよ

温泉地にある女性専用の露天風呂。
日頃の疲れを癒す女性たちのさまざまな思い
(「日常生活の垢」といえばいいでしょうか)が
浮かんでいるのが月の光に照らされて見えたんですね。
当然、自分の「良くないこころ」も浮かんで見えたのでしょう。
美しい月夜の情景との対比で、それとは対照的な人間の内にある
ドロドロしたものを見事に浮かびあがらせた1首ですね。


冷蔵庫に蜜柑ジュースを常備する愛媛のをとこと三月暮した  (015:蜜柑) 村本希理子

ポンジュースですね。実家から頻繁に送られてくるから
仕方なく冷蔵庫に入れてるというのではなくて、
ついつい自分で買って常備しているんでしょうね。
彼女がいつまでも忘れることができずに懐かしんでいるこの男は、
たった三ヶ月で別れてしまったけれど憎めない奴だったにちがいありません。
「愛媛のをとこ」は「愛媛をとこ」としたほうが
さらに面白味が増したのではないでしょうか。


嗚呼絶叫気迫の愛嬌すぐ妥協戦々恐々やや素っ頓狂  (037:愛嬌) 八香田 慧(ようかだ けい)

ラップ音楽の歌詞のような楽しい1首ですね。
短歌でこういう歌を詠むということの意義については
疑問を感じないでもないですけど……。


ひめじょおんなのはなゆれて四月からわたしは母になります雲雀  (050:おんな) sei

視覚的に「ひめ(姫)/じょ(女)/おんな(女)/のはなゆれて」
とも読める初句・2句の平仮名表記が非常に効果的です。
最後の「雲雀」は字数合わせ的な感じがしないでもないですけど
(句読点や1字空けなど表記に工夫があってもよかったかもしれません)、
春の動植物をたくさん織り込むことで、
母親になる喜びいっぱいの歌になっています。

2004/03/28 (SUN)
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マラソン2004 【ログ31より】
「このバスを一度降りたらもう二度と乗れないから」が乗らない理由?  (076:降) 南野耕平

「一度降りたらもう二度と乗れないから」と思って結局一度も乗らない。
そんなふうになかなか決断できずに
ウジウジしていることって結構誰にでもありますよね。


限りなくにせものなれどかがやきて回転寿司にイクラは回る  (070:にせもの) 春畑 茜

「限りなくにせもの」というのが巧いですね。
回転寿司の寿司ネタってほとんどが
「限りなくにせもの」って感じなんでしょうか?
回転寿司屋だけでなく、スーパーでも以前は
チリ産のメロを銀むつと称して売っていたりしてましたね。
ししゃもと思って食べているもののほとんどは
カペリンという全然別の魚だったり……。そういえば、
ノルウェー産サーモンの身の色も餌で自由に変えることができるそうです。
生産者は、濃いピンクから薄いピンクまで何段階もある色見本カードを
持っていて、日本の業者の細かい要望にこたえているそうです。
ちょっぴり怖い話ですね。

2004/03/27 (SAT)
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マラソン2004 【ログ30より】
表情を変える事なく沁みる様な歌うたい居るこのラジカセは  (057:表情) 文平字

たしかに、ラジカセはテレビとちがって無表情ですね。
でも、付けっぱなしのラジオから不意に心に沁みる曲が
流れてくることがしばしばあったりで憎い奴です(笑)。


にせものの出会いの中にほんものの愛を求めて溺れる魚  (070:にせもの) 南野耕平

「出会い系サイト」などの安易な出会いの場に群がる男女を
「溺れる魚」(魚は溺れるはずがないのに)という暗喩で詠んだ歌ですね。


運命を指揮するロボットあらはるとメディアは報ず弥生の夕べ  (003:運) リバー

指揮棒を振るロボットの姿は僕もニュースでチラッと見ました。
「運命」とは、ベートーベンの交響曲のことなのでしょうけれど、
人間の運命そのものを指しているとも読むことができます。
つまりロボットが人間の運命を支配する神として降臨してきた
場面ともとれるおもしろい歌だなあと思いました。

2004/03/27 (SAT)
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マラソン2004 【ログ29より】(その2)
< DK-NET > 復旧したみたいですね。ホッ(笑)。
ログ29からは、たくさんの歌を引っ張ってきました。
ちょっとあっさりめのコメントで失礼します。(^^;;;

それとみなさん、よろしかったら
みの虫さんとのコラボレーション企画「色紙2003」
の方も覗いてみて下さい。よろしくお願いします。



牛の胃の四つそれぞれ番号で呼ばふ効率主義のうるはし  (021:胃) 阿部定一郎

第1胃をミノ、第2胃をハチノス、第3胃をセンマイ、第4胃をギアラというんですよね。


芝居でもないのに清く美しく予定調和で生きてたまるか  (026:芝) 阿部定一郎

こういう詠いっぷり、宣言、いいですね。


数学者の美しき手にてほどかるるたったひとつの問いになりたし  (007:数学) 田中槐

「私」の存在理由を証明してくれる数学者の繊細で美しい手を希求する作中主体。
「手」がポイントなんでしょうね。本当にすてきな歌です。


恨みなど抱くはいともやすきゆゑ君も主役になれる怪談  (025:怪談) 足立尚彦

誰でも一生に一度は、怪談と恋愛物語の主人公にはなれるんでしょうね。


ゆるゆると茎をのぼってゆく水が沸点こえて咲くひまわりか  (019:沸) 五十嵐きよみ

夏の雰囲気が良く出ている歌ですね。
初句「ゆるゆると」は、まだ動くような気がします。


そこそこは無理のきく身を持て余し青になるまで野良犬と待つ  (011:犬) 森川菜月

きっと何にでも全力投球しないと気がすまない頑張り屋さんなんでしょうね。
思い込みで僕はてっきり飼い犬の散歩中だと思っていました。
「野良犬」と信号待ちというのは、たとえ事実であったとしても
こうして短歌にすると出来過ぎのような感じがします。


さんざめく昼の妻たち固まったチーズフォンデュのように親しい  (010:チーズ) 水須ゆき子

「固まったチーズフォンデュのように親しい」という比喩が絶妙ですね。
きっと作中主体もその妻たちの輪の中でにこにこしながら
世間話に花を咲かせているのでしょうけれど、そこに
もうひとりの客観的な自分が顔を出しているんですね。


冬の朝詩人の墓に供えるは「短い希望」という名の煙草  (023:望) 高橋二子

「詩人」の死と「短い希望」の取り合わせ。
「ショートホープ」という煙草の銘柄を小道具としてうまく用いた作品ですね。

2004/03/26 (FRI)
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マラソン2004 【ログ29より】(その1)
妻よ湯は沸いたのか湧いたのか俺は仕事を辞めていいのか  (019:沸) 佐藤友紀

はじめ僕は、仕事を辞めるという深刻なことがらを
妻に風呂が沸いてるかどうか聞くついでに何気なく切り出す夫、
というシチュエーションをイメージしたのですが、
「俺は仕事を辞めていいのか」という訊き方からすると、
奥さんに「そんなに今の仕事が嫌なら辞めちゃえば」なんて言われて
「えっ、本当に辞めていいの?」という感じかなと思い直しました。
5・5・5・7・7の破調の歌ですけれど、
「沸いたのか湧いたのか」と2、3句がリフレインなので
リズムがとても良いですね。
それもあるのでしょうけど、なんともユーモラスな歌です。
「沸いたのか湧いたのか」と漢字を使い分けているのも技ありですね。
もし本当に温泉が湧き出たんだったら、奥さんも本気で
仕事を辞めるよう夫に言ってるんでしょうけど、そんなわけはなくて、
きっと奥さんは、夫がすんなり「じゃあ辞めちゃうよ」なんて
言わないとわかっていて鎌をかけてるんでしょうね。

2004/03/23 (TUE)
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マラソン2004 【ログ28より】
安心を謳うアリコのCMに少し似ている指輪を外す  (002:安心) なかみずゆかり

【ログ27】の浜田さんのアリコの歌に続いて、なかみずさんのアリコの歌です。
こちらは自分に引きつけて詠んだ作品。この指輪は結婚指輪で、
結婚もお手軽な保険のように思えたということでしょうね。
「少し似ている」の「少し」が1首のなかでピリリと利いています。


わたくしが踏みつぶされた蜜柑ならあのひとは矢の刺さった林檎  (015:蜜柑) みうらしんじ

「踏みつぶされた蜜柑」と「矢の刺さった林檎」とはこれ如何に?
それに「あのひと」とはいったい誰のことなのか?
よく読み解けませんでしたけど印象に残った歌です。


腹を開け胃を取り出し洗濯し日向に干したいほどの快晴  (021:胃) 高橋二子

日本晴れを豪快に表現しましたね。痛快、天晴れです(笑)。


この列もあの列も待つ列ですか待たない列はあり得ませんか  (093:列) やまね

禅問答のような歌ですね。「待たない列」があったとしても
待つのが嫌いな人がたくさん集まると結局待たなきゃいけなくなるんですよね。


好きなのは練羊羹の端っこで同じ好みの母と取りあう  (046:練) 原田 町

端っこって何であんなに美味しいんでしょうね。
巻き寿司の端っことか(笑)。



まぼろしの痛みをたくすゆふ空が切り裂かれてくあれは派遣機  (051:痛) 深森未青

自衛隊のイラク派遣を詠った作品ですね。
僕は2句切れの歌として読んだのですが
(つまり、「ゆふ空」にではなく「派遣機」に
我々日本人が痛みを託すと解釈しました)、
どうなんでしょうねえ?

まぼろしの痛みをたくす ゆふ空が切り裂かれてくあれは派遣機

と、1字空けにして2句切れにしたほうが
作品としてはインパクトがあると思いました。

2004/03/22 (MON)
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マラソン2004 【ログ27より】
さっきまできみがすわっていた土に夏のひかりはのこされたまま  (006:土) ひぐらしひなつ

まるで「きみ」が「夏のひかり」をそこに置いて去って行った
ような感じがして、彼の不在がとても際立って感じられる歌ですね。


不器用な指にあらわにされる夏蜜柑の中のちいさな太陽  (015:蜜柑) 五十嵐きよみ

「夏蜜柑の中のちいさな太陽」というフレーズが印象的です。


くちびるを湿らせるようにつぶやけばあたしの水を震わす名前  (005:名前) 渡辺百絵

あなたのみずみずしい名前を「くちびるを湿らせるようにつぶや」けば、
大半が水分から成る「あたしの」身体は震えるように反応する。
とってもすてきな相聞歌ですね。
渡辺さんは、一人称には「あたし」を使われているのでしょうか。
「あたし」より「わたし」のほうが良いように思いました。


「二次(試験)の数学」を「虹の数学」と聞き間違えてはつなつになる  (007:数学)  ひぐらしひなつ

結句がビシッと決まっていますね。
聞き間違いの歌といえば、最近読んだ
千葉聡さんの第2歌集『そこにある光と傷と忘れもの』に

「横棒」を「欲望」と聞き間違えて目がさめた会議終了間近  千葉聡
野球部の「さあ、いこうぜ」が「最高ぜ」に聞こえる 「ぜ」とは詠嘆の助詞  千葉聡


という作品がありました。


ささがねの携帯電話の圏外の蜘蛛の子の散るようなさびしさ  (009:圏外) 柳澤美晴

「携帯電話の圏外の」ようなさびしさ、「蜘蛛の子の散るようなさびしさ」。
「ささがねの」は、「蜘蛛」にかかる枕詞。初句の「ささがね」から
「蜘蛛」→「蜘蛛の糸」→「糸電話・電話線」などを読み手に連想させつつ
「携帯電話の/圏外の/蜘蛛の子の……」と続いていき、
結句の「さびしさ」を導き出すという序詞(じょことば)的な構成の歌ですね。
つまり、いろいろな趣向を凝らした歌ではありますけど、
要は結句の「さびしさ」を作者は言いたかっただけの歌。
個人的には、こういう作品すごく好きです。


負け犬の遠吠えみたい。びょうびょうとさくらの衣を盗りきれぬ/風/  (011:犬) 柳澤美晴

桜の咲く時分にやさしく吹く春風を「負け犬の遠吠えみたい」
と喩えたのが斬新ですばらしいなと思いました。
「/風/」という表記は、効果的とは思えませんでした。


安心は広告費込み全国紙二頁をアリコジャパンが占める  (002:安心) 浜田

新聞だけでなく、あの大量のテレビCMのタレントのギャラも気になりますね(笑)。

2004/03/22 (MON)
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マラソン2004 【ログ26より】
たくさんのひとが死ぬとは思わずに 春 アイロンをするする運ぶ  (003:運) 兵庫ユカ

毎日、たくさんの人が不慮の事故で亡くなっているし、
そうでなくても天寿を全うして死んでいっているんですよね。
そういう世界に僕たちはいて、生とか死とか意識することなく
「するすると」日常生活を送っているんですよね。
「春」という文字がぱっと目に飛び込んでくる表記も印象的な歌ですね。


  1998年5月、淡路コーポ。零歳は少しの事故があり、乳幼児集中治療室に幾日かいて、退院してきた。二歳ははじめて見る「おとと」を(これは本能的なものか)守る(兄の)ようにベビーベッドのそばにいて、ツーショット、
(写るんです)に撮りし二歳と零歳の表情の深き深き深きあり  (057:表情) 矢嶋博士


詠草においては「深き深き深きあり」というリフレインのみで、
詳細を詞書に任せているという点は賛否両論あるかもしれませんが、
僕は詞書と詠草とが巧く響き合っていると思いました。
「写るんです」というレンズ付フィルムの商品名
(商品名としては正確には「写ルンです」)を
括弧でくくって初句に置いたのも、
生まれてきた弟への兄としての思いや
逆に兄に対する弟の信頼感といった本能的なものが
「写るんですよ」、と読み手に訴えかけてくるみたいで効果的です。


あぐらより酒の酔いよりはみ出してやんごとのなき裸足の足裏  (012:裸足) 涼

「あぐらより酒の酔いよりはみ出して」という足の裏の描写がいいですね。
愛する人の身体の一部をいとおしい気持ちで見つめている
様子が感じられて、ほのぼのとした気分になりました。

2004/03/21 (SUN)
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マラソン2004 【ログ25より】
ぬくもりはうれしいような やわらかにおしっこもらしてしまいたくなる  (004:ぬくもり)  小林真紀子

このぬくもりとは春の陽のぬくもりで、春の悦びを詠った歌でしょうか。
それとも、もっと個人的なことに起因するものなのでしょうか。
それはよくわかりませんが、「やわらかにおしっこもらしてしまいたくなる」
という感覚が、ぬくもり感や幸福感を巧く伝えています。
幼い頃のおもらしやお風呂場でおしっこをした時のぬくもりを思い出しました。


圏外へ飛んで行けない訳がある走れよ走れ回転木馬  (009:圏外) 紫峯

村上春樹の『回転木馬のデッド・ヒート』という書名を思い出しました。


<二時間を過ごした>というスクープを読んだ土曜日三時間逢う  (006:土) 森川菜月
日曜も算数学ぶ子らがいて太陽コンパス知る鳥も飛ぶ  (007:数学) 森川菜月

この連続する2首は、歌の構造が似ていますね。
芸能人のスクープ記事や鳥が本能で遠く離れた目的地へ飛んでいくこと
といった自分とは直接関わりのないことと、私的なこととの並列。
「日曜も算数学ぶ子」とはわが子のことで、
「土曜日三時間逢う」というのは密会に近いものでしょうか。


おしなべて墓は日当たる地にありて死とはぬくもるものかも知れぬ  (004:ぬくもり) 落合和男

「死とはぬくもるものかも知れぬ」という独断に、死へのゆるやかな肯定感を感じます。
年の功でしょうかね。僕には、雨曝しになっているイメージのほうが強いです。

2004/03/21 (SUN)
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マラソン2004 【ログ24より】
圏内と圏外わかつひとすじの川を抱きてねむる家族(うから)は  (009:圏外) 村上きわみ

「川を抱きて」というところに作者独自の視点がありますね。
目の前に横たわっていると捉えるのが普通ですけど
それでは平凡な歌になっていたことでしょう。


おんななる哀しみ深し おお神よ何ゆえ女は男の肋骨  (050:おんな) 石垣蔦紅

聖書のなかでは男性は女性の上位に位置する存在として描かれています。
石垣さんには、

磨くべき銀器も石もあらざる身 心磨けと聖書送らる (056:磨) 石垣蔦紅

という歌もあったので、聖書を知人の勧めで読んでいきなりぶち当たった思いなのでしょう。
また、女性差別について詠んだこんな歌もありました。

奴隷妻(スレイブ ワイフ)という語は今も存在す女への差別消えざる社会  (069:奴隷) 石垣蔦紅

そういえば現在開催中の大相撲春場所で、大阪府知事賞を女性の知事が
土俵に上がって授与することが認められてませんがあれも変な話ですねえ。
相撲界の「伝統」という言い草も、それでも知事賞を授与する知事の対応も。
正直、大相撲人気も下火ですし、スポーツとしてよりも
伝統芸能としての道しか残されていないのかもしれません。
もう1首、石垣さんの歌を。

表情の豊かなる彫 石仏は寂しきときは寂しき顔もつ  (057:表情) 石垣蔦紅

仏像というのは、私たちの折々の思いをそのまま映す鏡のような存在なのでしょう。
変に慰めたり励ましたりせず、無言でじっと見つめてくれるからこそ
きっと気持ちがほぐされていくのでしょうね。


美人とは言えないけれど受付嬢席をはずせば寂しきロビー  (018:ロビー) 車前子

居るべき人がいない空白感。きっとロビーは多くの人で
賑わっているのでしょうけど、そこに静寂感を見て取った作中主体。
「美人とは言えないけれど」という詠い出しもいいですね。
僕も、通り道にある昔ながらの煙草屋の小窓越しに
いつも座っているお婆ちゃんが見えない時そんな気持ちがします。


晴れた日も鞄は重い飛ぶことと引きかえに得た安心ゆえに  (002:安心) 岩崎一恵

書類のたくさん入った鞄を持って出勤の途上でしょうか。
夢を捨てて「安心(安定)」を得たことへの気持ちの
切り替えがまだできてなくて未練が残っているようです。
「晴れた日も」ということは、雨の日や曇りの日は
もっと鞄が重く感じられているのでしょうね。


「安心」は見するものとぞ校長が渡り廊下に示すさすまた  (002:安心) 井上佳香

侵入犯を取り押さえることが真の目的ではなく、生徒に安心して
学校生活を送ってもらうために備え付けているという「さすまた」。
たしかに、先生が大勢の生徒を守るというのは実際問題として不可能なことで、
もっと前の段階で不審者が侵入してこない方策を考えるべきだと思います。

2004/03/20 (SAT)
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マラソン2004 【ログ23より】
戻り来し猫のぬくもり陽の匂ひとろりと重し穀雨のころは (004:ぬくもり)  武下奈々子

「穀雨」という言葉がポイントでしょうか。
今年は4月20日で、春雨が降って百穀を潤す
という意味の二十四節気のひとつです。


頑固です大酒飲みです熱いです 諦めとうせ土佐の血やきね  (006:土) 矢野伎理子

高知の女性といえば乙女さん(坂本龍馬のお姉さん)と島崎和歌子のイメージが強くて、
酒が強くて豪快であっけらかんとした南国系を想像して結構好感をもっています。
この歌は、下句の方言が非常に効果的ですね。  


天国の門はいつでも開(ひら)いてるコンビニほどに便利じゃないが  (027:天国)  八香田 慧(ようかだ けい)

「天国の門」と「コンビニ」を対比したところにおもしろみが生まれました。
確かに「天国の門」も24時間営業で、いつでも行こうと思えば行けますね。
まあ行きたくない時に無理矢理連れて行かれることのほうが多いわけですけど。

2004/03/18 (THU)
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マラソン2004 【ログ22より】
画用紙に窓を書きたる少年は濃き紫に塗りつぶしたり (043:濃)  吉田小夜子

心理分析的にいえば、この少年は抑圧状態にある
とかいろいろと細かく解釈できるのでしょうけど、
誰もがこのような絵を見たら、少年が何か悩みを抱えて
いてSOSを発していると気づくことでしょうね。
最近の子供はこんなわかりやすい絵は描かないのかしら?


(汚れたるスニーカー履き不機嫌に立川談志ひとりなりけり)
家元が群衆の中吐き捨てし言葉を弟子が拾ふ地下鉄 (045:家元)  廣西昌也


この歌は、立川談志という固有名詞が詞書で
明らかにされているからおもしろいのでしょうね。
つまり「家元」は、立川談志のことだと思うんですけど、
詞書では談志ひとりなのに、詠草では弟子と一緒で混乱しました。
1首の歌として見ると詞書の方もじゅうぶんにおもしろいですけど、
詞書としてはもう少し工夫がほしいように思いました。


油膜はる川に自転車投げられて仰向けのまま冬は終わりぬ (095:油)  浜田道子

冬が終わったということは、春がやって来るということなのに
全然そういった喜びや明るさが感じられない歌で印象に残りました。

2004/03/17 (WED)
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マラソン2004 【ログ21より】
友人の多かりし子は三年まえ連れのなきままかの世にいきし (038:連)  吉田小夜子

せつない歌ですね。ただ3句目の字余りが気になりました。
たとえ「三年まえ」が事実であっても、
ここは「二年まえ」とか「五年まえ」として
定型にきっちりおさめるべきだったでしょうね。
そこに詩の真実がうまれるのだと思います。


どうしてもうまく失望できなくて未だみどりのみどりのこゆび (023:望)  斉藤そよ

「どうしてもうまく失望できなくて」というのは、きっと
作中主体はとことんまで落ち込んじゃうタイプなんでしょうね。
「みどりのみどりの」というリフレインとともに、
「みどりのこゆび」という不思議なフレーズが印象的です。
作中主体は、立ち直りの悪い自分を未熟だと思っていて
「みどり児」という言葉と同じ発想でこう表現したのでしょう。
それで新芽のような小指をイメージしましたが、小指といえば指きりげんまん。
作中主体は、何か大事な約束を反故にされたんでしょうね。


「安心」と「不安」交互に口にして誰にも渡すものかと思う (002:安心)  笹田かなえ

「安心」と「不安」の間で揺れている「あなた」への思い。
「誰にも渡すものかと思」いながらもやっぱり揺れているんでしょうね。


もとも遠き星雲の写真かがよひてわが着床のごとくさみしも (028:着)  深森未青

「遠き星雲」を「わが着床のごとく」と捉えた作者の発想がすごいですね。
どちらも自分の目では直接確認することができない所で輝いているイメージでしょうか。
この比喩には、男の僕でもなるほどそういう感じがするなあと納得させられました。
でもこのさみしさは、本当のところは男性にはわからないことであって、
女性だけが強く共感することができる種類のものなのかもしれません。

2004/03/12 (FRI)
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マラソン2004 【ログ20より】
今宵また地球(テラ)は沸きなむささやかなほどこしの音にくにざかいの死に (019:沸)  深森未青

国家間の争いや人種・宗教間の争いが絶えない世界ではありますが、
愛に満ち溢れた行為が至るところで施されているのもまた事実。
その両方が混沌とした状態で存在し地球を煮えたぎらせている。
「ほどこしの音に」の「音に」が字数合わせのような気もしないでは……。


殉教画に掴み出さるる聖人の胃の腑そこだけ夜はなまぬるし (021:胃)  深森未青

難解な歌ですが、「聖人の胃の腑」の「なまぬる」い温度と感触が伝わってくる1首ですね。
作中主体は、自分の裡にある臓腑の冷たさに思いを馳せているのでしょう。


望郷をいだかざるわれ溶けなむと乳房をつぶすきみのそびらに (023:望)  深森未青

「きみ」を新たな故郷として恋い慕おうとしている作中主体。
「望郷をいだかざるわれ」に、本当は故郷に対する秘めた思いがあるのに
強がっている姿が垣間見えてちょっといじらしく思いました。


砂はまに打ち上げられし流木に弱気をのせて海に流せり (036:流)  宮崎 浩

砂浜に流れ着いた流木に自分の弱気を乗せて海に流すという、
ボトルに手紙を入れて海に流すというような夢のある行為とは全く正反対の行為。
たぶん、砂浜に何本も転がっている流木を、海に向かってくりかえし
投げ込んでいる姿をこのように歌にしたんじゃないでしょうか。
弱気な性格が自分でも本当に嫌で自己嫌悪に陥っている作中主体が、
そんな思いを晴らすように何度も海に向かって流木を投げ入れている情景。
この詠草から僕は、「流せり」というより、投げ込んだ結果として
流木が流れていっているという印象を持ちました。


万物が張る・晴る・墾(は)ると躍動す 世界は青き春のぬくもり (004:ぬくもり)  やそおとめ

春のおとずれを詠んだ上句のフレーズに惹かれました。ただ下句で
「世界は」としたのは、大上段に振りかぶりすぎのように感じました。 
純粋に春のおとずれを詠んだ歌なのか、それとも「春」は暗喩で
「世界」について作者の何らかの認識を詠んだ歌なのかがよくわからないです。
もっと身近に引き寄せて、純粋に春の到来を詠ったほうがよかったと思います。


空の上野山はあるか花あるか ばあちゃん今はのんびりしてるか (022:上野)  いさな

「一筆啓上賞・日本一短い手紙」といった感じの歌ですね。リズムが良く、
作中主体の祖母への思いがこちらにもストレートに伝わってきます。


魅力ある人は裸足だ ヴィーナスやブッダやイエスやベッドの君や (012:裸足)  椎名時慈

ヴィーナスと一緒にされるのはうれしいでしょうけど、
ブッダやイエスと一緒にされるのはうれしいのかなあ?(笑)
そういえばこんな歌も投稿されていましたね。

「裸」のつくものの中でも裸足だけは大抵の宗教に推奨されてきた (012:裸足)  謎彦


緊急の血液運ぶ運送屋浜田康敬ただごとを詠む (003:運)  森川菜月

浜田康敬さんというと、

豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている  浜田康敬

という歌がすぐに思い浮かびます。そういえば、
浜田さんが以前書いていたウェブ日記に
「緊急の血液運ぶ運送屋」についての記述もありましたね。


天球がたるまぬように慎重に雲で糊して青空を貼る (001:空)  阿部定一郎

童話のような短歌ですね。
これから雲ひとつない青空を見ると、
たるんで来ないか心配になりそうです(笑)。


にんげんが地球上に殖えつづけなおかつうたなどうたへる怪談(くわいだん) (025:怪談)  矢嶋博士

まさに怪談ですね。


子の望むすべてのゲームを買い与え吾は貧しき平成の親 (023:望)  水島修

子を甘やかしすぎる親と虐待する親は表裏一体、
どちらも「貧しき平成の親」といえるのでしょうね。

2004/03/11 (THU)
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マラソン2004 【ログ19より】
端正な手紙の結び「元気で」の「気で」心持ち右に乱れぬ (016:乱)  こはく

ふたりの関係(親子、恋人、友人?)や状況(別れ、励まし?)は、
歌からはっきり読み取れませんけど、敏感に手紙の文字の乱れに
気付く作中主体の描写に惹かれた1首です。


水須さんと呼ばれるうちに水須さんになって名前の中の夕凪 (005:名前)  水須ゆき子

ハンドル・ネーム、筆名を名乗ることに慣れていく自分。それとも
「水須」さんは本名で、結婚で「水須」と変わった自分の姓に
徐々に慣れて「水須さんになって」いくということなのかな。
「名前の中の夕凪」で着地がぴったり決まっている歌ですね。


数学の教師が明日を語りだし煙草を吸わぬくちびる舐める (007:数学)  みうらしんじ

煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし  寺山修司

この寺山の歌の本歌取りですね。「煙草を吸わぬ」というところに、
明日を語りだした数学教師を軽蔑している感じがありありと感じられます。
ひょっとしたらこの作中主体である生徒は、こっそり煙草を吸っているのかもしれません。


カラオケに二時間遊びし罰のごと煙草の匂ひの残るセーター (020:遊)  佐藤紀子

ほんのひととき自分の自由にできる時間を
好きに使って息抜きをした主婦の罪悪感でしょうか。


裸足(はだかあし)靴下履いて靴履いて踏み出す一歩右か左か (012:裸足)  八香田 慧(ようかだ けい)

どちらへ踏み出すか迷いのある作中主体。
その迷いを、「裸足(はだかあし)靴下履いて靴履いて」と
日常の動作をひとつずつ丁寧に並べることで巧く表現しています。
ひょっとしたら、頭の中で考えているだけで
実際にはまだ靴下も履いていないのかもしれません。

2004/03/10 (WED)
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マラソン2004 【ログ18より】
胃ガ痛イ。わたしのなかのくらやみの代表として胃が痛い胃ガ、 (021:胃)  冨樫由美子

胃を「わたしのなかのくらやみの代表」という作中主体
(そういえば、「宇宙」と詠んだ歌もありましたね)。
ところどころにあるカタカナ表記と句読点が
中途半端であまり効果的とは思えませんでした。


まるで歯を欠いたオルゴール 必要な言葉が僕らの間に足りない (014:オルゴール)  高岡シュウ

「歯を欠いた」は「歯の欠けた」のほうがいいかなと思いました。


文月の潮騒すでに秋めいておけさおけさと佐渡の海行く (049:潮騒)  畠山 拓郎

「佐渡おけさ」から発想した「おけさおけさ」という潮騒のオノマトペがユニークですね。
オノマトペから非常におだやかな海をイメージしたのですが、
作中主体は、冬の日本海の荒々しい姿を思い描きながら、
敏感に文月の海から秋の訪れを感じ取っているのでしょうね。


犬太(けんた)って人の名ですか その通り点の動きに無駄のない名だ (011:犬)  こはく

笑わせてもらいました(笑)。


墨を吐き自分の居場所隠したが自分がどこかも判らなくなる (053:墨)  田中昌仁
八方をふさがれている気がしてたドアを開ければ出て行けたのに (058:八)  田中昌仁


田中さんの歌では、閉塞状況にあったり、本当の自分の居場所を
探し求めているような「自分」の姿を詠んだ2首に注目しました。


負け犬の遠吠えひとつ冬の夜結論の出ぬ役員会議 (011:犬)  素人

犬の遠吠えが聞こえてくるような場所での役員会議ということから
会社じゃなくて町内会の集まりをイメージしました。
どうでもいいような議題なんでしょうね(笑)。
これ再投稿の歌で、最初に投稿された

遠吠えのひとつ聞こえて冬の夜結論の出ぬ役員会議

のほうが、よかったと思うんですけど……。
「負け犬」とまで言ってしまうのは言い過ぎですし、ここまで言ってしまったために
「負け犬の遠吠えひとつ/冬の夜/結論の出ぬ役員会議」と
体言止めで歌が切れる箇所が増えてしまって、
かえって1首全体が言葉足らずになってしまったように思います。

*註
上のコメントを読んだぽっぽさんこと水須ゆき子さんが、
素人さんの最初の投稿歌には、お題の「犬」が入っていないことを
教えてくださいました。完全にお題の有無を見過ごしていました。
そういえば、去年僕も推敲しているうちに題が抜けちゃったことがありました。
コメントはこのままにしておきます。 

2004/03/09 (TUE)
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マラソン2004 【ログ17より】
仮免許だけで疾走しつづけるこはさまだあるにじゆうななさい (017:免許)  冨樫由美子

27歳というのは微妙な年齢なのかもしれませんね。「にじゆうななさい」は、
「二十七歳」と漢字で表記したほうがすっきりしていいのでは?


愛嬌をふりまくきみのその顔のむこうはきっと淋しい沼だ (037:愛嬌)  春畑 茜

結句がびしっと決まった歌ですね。「きっと淋しい沼だ」がいいです。
きっと、その沼を見抜く <私> も「きみ」と同じように
みんなに愛嬌を振りまいているような性格の人なんでしょうね。
「沼」の歌でちょっと似たモチーフの1首を。

帆のごとく過去をぞ張りてゆくほかなき男の沼を君は信じるか  佐佐木幸綱



空襲が air raid の直訳と知つたときから夕陽が昏い (001:空)  資延英樹

読み手の知的欲求をトリビア的に満たす発見・気付きの歌。
結句「夕陽が昏い」に、歌の着地としてもう一工夫ほしかったです。


自殺した男の名前を冠せたる賞をふたりの女が分ける (005:名前)  資延英樹

芥川賞をこういうふうに表現すると、
時事的な事柄もおもしろい短歌になりますね。
「自殺した男」と、賞をもらった「ふたりの女」の
どちらに対しても作者の冷めた目というものを感じます。


「免許証の写真のような女よ」と店長夫人のこと説明す (017:免許)  津和 歌子

「免許証の写真のような女よ」という説明は、痛烈ですね。

2004/03/09 (TUE)
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マラソン2004 【ログ16より】
朝鮮あさがほの別名かきあつめ毒のすごさを思ひうかべる (075:あさがお)  謎彦

     8月25日、万景峰号が新潟西港に入港。
ギョンボンかボンギョンなのか朝鮮朝顔(マンダラゲ)の薄紫に麻痺しています  神崎ハルミ
 

僕も去年の夏に、猛毒がある「朝鮮あさがほ」の歌を詠んでいました。
別名には、曼荼羅華(まんだらげ)・キチガイナスビ・ハリナスビ・悪魔の草
などがあるようで「毒のすごさを思ひうかべる」にはもってこいですね。

それにしても辞書を使わず即興でこれだけの歌を100首詠む
謎彦さんってすごいですねえ。


  1997年12月24日(水)午後11時頃、淡路コーポ、黒鼻の美人のジュン、4歳。
わが犬の死にゆく晩に薄く切りし肉やれば咬みぬ 生(せい)の側から (011:犬)  矢嶋博士


「生(せい)の側から」という結句が、間もなく死の側へと行ってしまう
愛犬への作中主体の哀しみを強く感じさせるフレーズでいいですね。
こうして1首だけを取り出してみると、詞書がうるさく感じるように思いますが、
矢嶋さんは詞書のある歌を100首詠まれていくようなので、
完走後に100首とおして読むとまたおもしろいのでしょうね。


台湾で日本語教育受けしとぞそのやはらかき日本語の肌理 (031:肌)  廣西昌也

「日本語の肌理(きめ)」というすてきな表現で、
見事にお題の「肌」を処理されましたね。
タレントにも台湾や韓国出身の若い人がたくさんいますが、
彼女たちの日本語を聞いていると気持ちが癒されることがあります。
きっとこの歌の日本語教育を受けたという方はお年寄りの方で、
背景に日本の植民地政策といった暗い過去が感じられる歌です。


数学よ恥ずることなく数学であれ 3,141592・・・ (007:数学)  渡部光一郎

「ゆとり教育」という名のもとに、蔑ろにされる円周率。

「ゆとり」ゆえ円周率は「およそ3」0.14砂場に埋める  立花るつ
3という円周率は14のセンスを捨てたバーゲンの品  久慈八幡


去年の「題詠マラソン2003」にもこんな円周率の歌がありました。



みすずかる信濃なるかなやはらかく土を青めて春雨の降る (006:土)  小林看空
  
「みすずかる」は「信濃」にかかる枕詞。
マラソン詠のなかにこういう歌があるとほっとします。


ぬばたまの芝居はねたるのちの闇勘九郎の飄逸仁左衛門の豊饒 (026:芝)  美濃和哥

歌舞伎は全くの門外漢なのですが、
「勘九郎の飄逸仁左衛門の豊饒」はなんとなくわかります。
「ぬばたまの」という枕詞も巧く使われていて、
リズム良く下句へとつながっていきます。

2004/03/09 (TUE)
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マラソン2004 【ログ15より】
厩戸皇子を諌めしことありけむ極彩色の百済観音 (013彩)  倭をぐな

法隆寺の木彫彩色観世音菩薩立像ですね。仏教と人間が今よりも
もっと濃厚に関わっていた時代に思いを馳せている作中主体。
こんな画像がありました。


虹彩と呼ばれる場所が我の目のなかにもあると思う しずかに (013:彩)  津和 歌子

人体模型や解剖図を見て、自分の身体の中もこんなふうに
なっているんだなあと思ったことは誰でもあるでしょうけど、
「虹彩」に着目したことでこの歌は成功していますね。
最後の「しずかに」が一字空きの後に置かれているので、
解釈としては「しずかに思う」ということではなくて、
「自分の目の中にも虹彩がしずかにある」ということなのでしょう。


名前すら持たぬ透明の花になり君の傷口に沿って咲きたし (005:名前)  立花るつ

<忍ぶ恋>ですね。「名前すら持たぬ」「透明の花」「君の傷口に沿って咲きたし」
とたたみ掛ける感じで自分の想いを詰め込んだ歌。
忍ぶ想いをストレートに切々と詠んだところがよかったです。


戸の外で廊下がみしりといふ春夜なにを運んできてしまつたの (003:運)  高澤志帆

春といっても夜には気温の差が生じて家鳴りがするのでしょう。
「なにを運んできてしまつたの」というとぼけた感じがユーモラスでいいですね。
家鳴りがするとわかっていても「ドキッ!」とするものですが
(空き巣だけでなく、就寝時を狙った忍び込みも増えていますし)、
毎度のことですっかり慣れてしまっているのかもしれません。それとも、
本当はすごく怖がり屋で、とぼけた物言いで
自分の気持ちを落ち着かせているのかもしれませんね。


彩りをじよじよに加へて夜となる黄昏の川ならば許さう (013:彩)  大辻隆弘

ログ14に続いてこの大辻さんの歌もかっこいいですね。
作中主体は、怒りや悔しさで鬱々とした思いを
静めるために、川を長い間じっと見つめていたのでしょう。
その川も、決してきれいに澄んだ流れではなくて、
まるで自分の心をそっくりそのまま映したように濁って汚れた川。
夕暮れが近づき、その川が徐々に美しい黄金色に染まっていく。
やがてはこの美しさを、そして真実の汚れた川の姿をもかき消すように
夜の闇が迫り、真っ黒に染まった川が目の前に現れることを
彼は思いながら、「許さう」と心に決める……。


溥儀(兄)と溥傑(弟)ならびゆき墨のかをりの影をひきずる (053:墨)  謎彦

「墨のかをりの影をひきずる」がいいですね。その次の「054:リスク」の
歌のオベリスクを虫歯のように抜き取るという発想もおもしろいです。

2004/03/09 (TUE)
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マラソン2004 【ログ14より】
肌色でないクレヨンを白人のなかまいりして肌色と呼ぶ (031:肌)  謎彦

この「肌色」という発想の歌は、

母国ふと思う たとえば二十四色のクレヨン箱の「肌色」  近藤達子(『空耳飛行』1999年)

という歌があるように類想歌がたくさんありそうですけど、
「白人のなかまいりして」というフレーズが印象的でした。


南京の大虐殺をながめつつドラゴンドラゴン天にまぐはふ (034:ゴンドラ)  謎彦

「ドラゴンドラゴン天にまぐはふ」の超現実的な情景と、
「南京の大虐殺」という現実の情景との対比が見事で
1枚の大壁画を見るような1首ですね。
「ドラゴンドラゴン天にまぐはふ」のリズムの良さも魅力的です。


空、雨のきざしの重さしろじろと蛍光灯は駅につらなる (001:空)  多田 零

最終に近い電車から降りたときの駅の風景でしょうか。
人影まばらなプラットホームの蛍光灯の白い灯りが連なる中を
足取り重く改札口へと歩いている作中主体。
雨の気配を含んでどんよりとした空は、
作中主体の心情を映しているように思えます。
すべての音がどこかへ吸い込まれていった後の
世界のようなイメージがする作品で心惹かれました。


消えるほど乱れる炎の真ん中で微動だにせぬ蝋燭の芯 (016:乱)  南野耕平

しっかりと蝋燭の炎を観察して詠んだ1首という感じがして好感が持てます。
そのためでしょうか、写生歌でありながらいろいろ深読みをしたくなる歌ですね。


命運が傾けてゆく陽のひかりそのぬくもりのなかにまどろめ (004:ぬくもり)  大辻隆弘

大辻さんのこういうかっこいい歌いいですね。
去年の「題詠マラソン2003」の大辻さんの作品もでしたが  
2003年7月24日の日記参照。)、すごく惹かれます。
「運命に身を委ねて生きていくしか仕方がないんだよ」と
優しく語りかけられているようで心がやすらぐ1首です。

2004/03/09 (TUE)
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マラソン2004 【ログ13より】
永遠に終はる事無きかくれんぼ名前知らねば呼ぶ術なくて (005:名前)  前野真左子

かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭  寺山修司


この寺山の歌を下敷きにしているのでしょうか。
怖い歌ですね。


<すっぱいです>と札立てて売る夏蜜柑萩の城下の軒低き店 (015:蜜柑)  前野真左子

城下町の長閑な雰囲気が伝わってきます。


夕映をやきつけるまで遊ぶ子よ放課後といふ風に吹かれて (020:遊)  福田 睦美

「夕映をやきつけるまで遊ぶ子」という上句に惹かれました。
ただ「放課後といふ風」という下句の安易さは残念に思いました。

2004/03/08 (MON)
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マラソン2004 【ログ12より】
昭和という名前今にもこらえきれず降り出しそうな匂いである (005:名前)  佐藤友紀

「昭和」という時代への感慨。
「降り出しそうな(雨の)匂いである」と補って読みましたが、ここは
「降り出しそうな雨の匂いだ」と明確に言ったほうがよかったのでは。


空砲を鳴らせすべてのはじまりのために無垢なる魂のために (001:空)  和良珠子

実弾は、何のはじまりにも解決にもならないし、
無垢な魂のためにもならない。僕もそう思います。


受賞圏外ではあるが歌人圏内にて温き湯に浸かりをる (009:圏外)  足立尚彦

足立さんは、もう歌集を2冊出版されている歌人の方で、
だから一層のことこのような歌に味わいを感じますね。
自称歌人はたくさんいますが、他人から歌人と認められるようになるのは難しいもの。
自称するときは、「受賞圏外の歌人です」「受賞圏内の歌人です」というのもお茶目かも(笑)。

2004/03/08 (MON)
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マラソン2004 【ログ11より】
ゆっくりと蜜柑の皮を剥くように人の痛みを愉しむ心 (015:蜜柑)  小出 紀子

直接手で剥くからでしょうか、蜜柑の皮を剥くという行為は、
ナイフで林檎の皮などを剥く行為よりも残酷な感じがしますね。それが
「人の痛みを愉しむ心」という自分の卑しい感情の比喩にぴったりです。
初句「ゆっくりと」は、僕だったら「ざっくりと」とするかなあ。


関係に疲れる 時に鱗あるもののぬくもりなきが羨しき (004:ぬくもり)  中村悦子

人間関係にほとほと疲れて、体温の低い魚に心惹かれている作中主体。
魚のように海を自由に泳ぎ回りたい気持ち、よくわかります。

2004/03/08 (MON)
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マラソン2004 【ログ10より】
無免許をつらぬくことも何らかの免許であらう翡翠(かはせみ)いろの (017:免許)  謎彦

車の免許は持っていて当たり前、
持っていないほうが珍しい時代にあって、
翡翠になって飛び回ることができるような自由さを
「無免許」の人に見てとる作者の感覚に新鮮さを感じます。
そんな理屈は抜きで、結句の「翡翠(かはせみ)いろの」がすごく決まっていていいですね。


出国のロビーにならぶマッサージ・チェアと僧帽筋のゆきずり (018:ロビー)  謎彦

なんでもない情景をこんなふうに「マッサージ・チェアと僧帽筋のゆきずり」と
表現されると短歌になりますね。「僧」の文字も歌のなかで光っています。


血のごとき石のかけらをひろひあげ「逍遥遊」ときざんでもらふ (020:遊)  謎彦

「逍遥遊」というと『荘子』ですか。ネットでちょっと検索してみると、
「何ものにもとらわれない自由気ままな境地に遊ぶ」とありました。
謎彦さんの短歌に対する姿勢を表明したという感じの歌ですね。
でも「血のごとき石のかけら」というようなところに
「逍遥遊」の裏にある謎彦さんの悲壮なまでの覚悟を感じます。


おまへこそ怪談である銅板に見えかくれする「生先ンルヘ」 (025:怪談)  謎彦

「ヘルン先生」とは小泉八雲のことですね。「銅板」がわかりにくいですが、
「生先ンルヘ」という昔風の表記からすると銅版画の原板のことでしょうか
(鏡文字ではないですけど)。松江城の壁に銅板が使用されていたという
ことを聞いたような気もしますが、よくわかりません。
八雲が、今でも松江の町を彷徨い、松江城で多くの観光客
に目撃されているとなるとまさに怪談ではありますね。


なぜか、ログ10では謎彦さんの歌ばかり拾ってしまいました。
ということで、最後に別の方の歌を1首。

湖畔よりモーターボートで出奔の整形外科医のゆくえはいずこ (079:整形)  谷口純子

この事件、すっかり忘れていました。たしか琵琶湖でしたね。
整形してどこかにいるんでしょうか。

2004/03/08 (MON)
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マラソン2004 【ログ9より】
蜜柑とは蜜がきはめてあいまいにメッキされゐる球面である (015:蜜柑)  謎彦

こういうふうに「蜜柑」を定義されるとは驚きです。
たしかに、甘さに当たりはずれがありますね。


ふるさとの蜜柑をいつも送り来るひと箱ぶんの父のさみしさ (015:蜜柑)  春畑 茜

きっと、手紙なんかは一緒には入ってないんでしょうね。それでもって、
「届いたよ」と電話を入れても、「ああ、そうか」なんて無愛想に返事するだけ。
でも、娘には父のさみしさがちゃんと伝わっているんですね、親子だから。
だからといって「故郷へ戻るよ」とか、「こっちで一緒に住もうよ」
とかは言えないんでしょうけど。


呼ぶだらう犬を飼ふなら「まよなか」と金魚なら「黄昏の匂ひ」と (011:犬)  冨樫由美子

「まよなか」という名前の犬と「黄昏の匂ひ」という名前の金魚。
相当変わっています、可笑し過ぎます。でも僕が犬を飼うなら
「黄昏の匂ひ」という名前にすることに決めました(笑)。

2004/03/08 (MON)
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マラソン2004 【ログ8より】
モザイクがかかれば人はどのひとも人間でなき声でしゃべれる (039:モザイク)  谷口純子
   
大抵の人間は、普段は理性をもって生きていますけれど、モザイクがかかった途端に
いとも簡単に箍がはずれてしまって饒舌になるみたいですね。
よく問題になるネット上での匿名の発言も同じと言えるでしょう。
「人間でなき声でしゃべれる」は、テレビでモザイクをかけられて発言する人が
音声も機械的に変えられていることを表面的には言っているのでしょうが、
人間の理性の箍がはずれてしまって人間でなくなってしまうというような
もっと本質的なことを意味しているのだろうと解釈しました。


ははそはのははのぬくもりうらうらとほのけき白粉舞ふはなざくら (004:ぬくもり)  福田 睦美

毎年桜の咲く時分になると、亡くなったお母様のことを思い出されるのでしょうね。


幻想と現実のきは彷徨ひて若冲の絵の鶏の神彩 (013:彩)  ももか

伊藤若冲の鶏の絵は有名ですね。
結句の「神彩」という語句が効果的です。


東京のひとに「姫路」としゃべらせて永遠によそもののアクセント (008:姫)  津和 歌子

僕も関西人なので、標準語のアクセントの「姫路」には
前々からすごく違和感を感じていました。「しめじ」にも(笑)。


柔肌の熱き血潮を堰き止めて普通の女をただ生きている (031:肌)  やまね

「普通の女」というのが、曖昧な感じがしないでもないです。
ここが「普通の主婦」とかだったら歌のイメージがぐっと鮮明になるのでは。
それとも言い過ぎになるのかな? 
<柔肌の熱き血潮に触れも見で普通の男をただ生きている>
とりあえず返歌です。普通じゃないかあ(笑)。


数学を愛するひとを芹洋子ならば如何なるひとと歌ふや? (007:数学)  謎彦

数学嫌いの作中主体が見え隠れしていると感じたのは僕だけでしょうか(笑)。

2004/03/08 (MON)
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マラソン2004 【ログ7より】
子の立ちし後の椅子にはその子なりのぬくもり残りて吾は親しむ (004:ぬくもり)  水島修

子供に対してべったりという感じではなく、ひとりの人間として
存在を認めているような男親的な愛情を感じる歌でいいですね。
「その子なりのぬくもり」というフレーズからも深い愛情を感じます。


公園の遊具のペンキ鮮らしく子らはどこかにいってしまった (020:遊)  谷口純子

<ペンキ塗り立て>だから子供たちが公園で遊んでいないというわけではなくて
もうずいぶん前に塗りかえられたのにまだ真新しいままということなのでしょうね。
そういえば最近、ゲーム・ボーイを持っている子供を公園など屋外でもよく見かけます。
子供はゲーム・ボーイ、大人はケータイ。現代の日本の寂しい風景です。


"nature"に論文が載る「安心の受容器官は胸にあった」と (002:安心)  牧野芝草

理屈ではわかっていても、心は胸(心臓)にあるような気がします。なので、
こういう研究報告を目にすると納得します。科学者もいろいろ研究しているんですね。
そういえば、心臓にも脳と同じように記憶をつかさどる機能があるということを聞いたことがあります。
心臓移植でドナーの記憶や趣味嗜好が移植者にそっくり移ったりすることもあるようですね。


点滴のパックに記号然として黒マジックで書かれた名前 (005:名前)  武田ますみ

ログ5の春畑さんの「飛騨市」の歌で地名についてコメントしましたが、
人の名前も両親やいろいろな人の思いが込められていて、
本来はただの記号ではないはずですよね。
でも実際は、記号として扱われることのほうが多くて、特に
病院に入院したりするとそういうことを感じるんでしょうね。
『白い巨塔』のようなことはないにしても。


紙粘土乾いたあとの頼りない軽さのように寄り添う家族 (006:土)  武田ますみ

最小そして最も重要な社会構成の基本単位である
「家族」という存在にふと不安がよぎる作中主体。
紙粘土でつくった人形をイメージすればいいでしょうか。
紙粘土が乾いたあとの軽さに注目した比喩が巧みです。
歌の背後には、乾燥した紙粘土のカサカサ感があり、
それが作中主体の家族の乾いた関係をも想像させて、
読み手側に伝わる作中主体の不安感を増長させています。

2004/03/07 (SUN)
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マラソン2004 【ログ6より】
屋上に本物見せに連れて行く海も空も知らない地球儀 (001:空)  植松大雄
   
「屋上」は、学校の屋上でしょうか。そして作中主体は、知識だけは
どんどん増えていく思春期まっさかりの高校生の少年をイメージしました。          
きっと「本物」を知らないのは、地球儀だけでなく作中主体もなのです。
メディアが伝える情報のみで世界のことを何もかもわかった気でいる自分……。
そんな自分に疑問を感じ、教室にある埃をかぶった地球儀を手にして
屋上に立ち尽している少年。小学校の授業で世界の国々に思いを馳せながら
手作りで地球儀を作った時のことを思い出しているのかもしれません。
「本物」を知るということに目覚めた少年、それを象徴的な場面で切り取った1首です。

      
逃げやすいものを逃がして欠けやすいものを壊して安心できた (002:安心)  五十嵐きよみ

そうですね。何かを所有・独占すると、実はそれを失った時のことを想像したり、
「こんなに満たされていていいのかしら」と思ったりして不安感も増すものですね。

   
結婚の記念に買ったオルゴールねじを廻すか躊躇している (014:オルゴール)  田中昌仁
 
これは、結婚何周年目かの日のことでしょうね。 
どんな音を奏でるのか他人事ながらちょっと怖いです(笑)。


(どくぜつがばかでせつなくはてしなく)ぬくもりのある恋人だった (004:ぬくもり)  宮川大介

リズムがいいですね。「ぬくもりのある恋人だった」という事実だけが、本当に
言いたかったことだったのでしょう。「(  )」を用いた表記が効果的です。

2004/03/07 (SUN)
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マラソン2004 【ログ5より】
「ゆたぽん」のそのぬくもりを抱きしめて眠りしが朝「ゆたぽん」居らず (004:ぬくもり)  春畑 茜

ひぐらしひなつさんがゴルゴ31で「小池光的おかしみと思ったのは
きっと「佐野朋子」を思い出したからですね。」とコメントしているのを
読んでなるほどそうだなあと思いました。

佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず  小池光

たしかに歌の構成、そして歌が醸し出す雰囲気が似ていますね。
人間の身勝手さをこのようなとぼけた文体で詠った歌を目にすると、
妙な納得とともに、「でも、それが人間なんだよなあ」という
感情が読み手に湧いてきて、軽い歌なのに非常に印象に残りました。


合併し「飛騨市」に名前変わりしはどの辺りかと地図にたしかむ (005:名前)  春畑 茜
   
もう1首、春畑さんの作品です。
知的好奇心を刺激するものはどこにでもあるもんなんですね。
問題は、それを感受する側のアンテナが錆び付いていないかどうか。
ニュースでたびたび話題になっている合併ラッシュ、
それで初めて耳にする地名や場所がたくさんありますが
地図を開くことまではしたことがありませんでした……。
それにしても、地名というものは利便性も大事ですが、
記号以上の意味を持つ歴史に育まれたものといえますね。
よく知っている地名が合併で消えてしまうとなると寂しいものです。


人参を彩りにして鍋に炊く冬の根菜愛想なければ (013:彩)  谷口純子

こういう何気ない日常の一場面を切り取った谷口さんの歌もすてきです。
彩りよく愛想がいい根菜は人参くらいでしょうか。
愛想がなくても冬の根菜はどれもおいしくて好きですけど、さらに
料理を作ってくれる人のこういった思いも一緒に食べていると思うと
身体だけでなく心もほっこり温もってきますね。


わたしからあなたへなだれてゆく愛は空へと帰る雨粒たちだ (001:空)  白糸雅樹

あなたから降り注いできた雨粒(愛)が、ふたたびあなたへなだれゆき、
そしてまたわたしに降り注いでくる……。永遠に循環する愛ですね。(^.^)

2004/03/07 (SUN)
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マラソン2004 【ログ4より】
息吐いて息吸ふ土をよろこびて裸足の春は歩みはじめる (012:裸足)  花笠海月

「裸足の春」という擬人化がいいですね。
(「息吐いて息吸ふ土」も擬人化ですね。)
「そろそろ俺の出番かな」という感じでしょうか。
ほんとうに春が待ち遠しい今日この頃です。


区切りとしてアスタリスクがよっつならぶ論の論旨はいまだに不明 (054:リスク)  花笠海月
  
短歌誌か結社誌に掲載された短歌評論でしょうか。
作中主体の鋭い批評眼を感じる歌です。
論の展開がしっかり構築されていないと、
ついついアスタリスクで区切りを入れて
論の羅列、果てはただの感想文になってしまうものです。


それぞれが右手におなじ紙袋さげて帰宅す春の家族(うから)は (092:家族)  花笠海月

ささやかな幸せを休日の風景から切り取った歌ですね。
この紙袋は百貨店などの高級店のものではないように思います。
まあ、紙袋に入れてくれるお店といえばそこそこの店なのでしょうけど、
うーん、どこの紙袋なんでしょうねえ。
東急ハンズとかの紙袋をイメージするといいような……。
歌のテーマからすると、「紙袋」よりもダイエーとかのビニール袋のほうが
よかったんじゃないかなあと個人的には思いました。


早々と初日にトップでゴールした花笠海月さん(昨年も1着でしたね)
の作品ばかりの引用になってしまったので、最後にもう1首。

とてもよき音がしそうな太鼓腹に 囲まれている体重計だ (029:太鼓)  しんくわ
  
微笑ましい光景を詠った歌で、単純におもしろかったです。

2004/03/06 (SAT)
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マラソン2004 【ログ3より】
この星の誰の上にもある空へわれは腕(かいな)を子は背を伸ばす (001:空)   水須ゆき子 

この水須ゆき子さんの作品は、
足立尚彦さんの「題詠マラソン2004拾い読み掲示板」
でも早々と取り上げられていましたね。

公園で時々、サラリーマンがあくびをしながら
伸びをしているのを見ることはありますけど、
ふつう大人は空を見上げることはあっても、
空に向かって腕を伸ばすことなんかしないですね。
でも、作中主体は腕を伸ばしているんですよね。
そこには何かを強く希求している作中主体の姿が、
もう少し具体的に言うと様々な現実問題に直面してはいるけれど
夢や希望を捨てることなく持ち続けていこうとする
作中主体のポジティブな生き方が感じられます。
「誰の上にもある空」は表現としては陳腐で新鮮味はありませんが、
この歌においては、空(夢・希望)は誰の上にもあるはずなのに
みんな大人になると忘れてしまったり気づかないふりをして
それを求めることをせず日常の生活に追われてしまっているという
作者の批判の目をこの部分に感じて効果的だと思いました。
どんどんこれから背を伸ばし成長していくこのお子さんが
大人になっても夢や希望を失うことのないようあってほしいものです。

2004/03/05 (FRI)
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Writer: 伊波虎英(旧・神崎ハルミ)