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「題詠マラソン」2003観戦記&2004拾い読み
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DKLog.JP::Diaryあしあと

■ 2003/07/27 むつきさん
■ 2003/07/26 矢野伎理子さん
■ 2003/07/25 宮崎浩さん
■ 2003/07/24 大辻隆弘さん
■ 2003/07/23 八香田慧さん
■ 2003/07/22 門哉彗遥さん
■ 2003/07/21 春日山さん
■ 2003/07/20 大橋紀子さん
■ 2003/07/19 飛永京さん
■ 2003/07/18 水須ゆき子さん
■ 2003/07/17 田丸まひるさん
■ 2003/07/16 森川菜月さん
■ 2003/07/15 立花るつさん
■ 2003/07/14 足立尚彦さん
■ 2003/07/13 村田まゆ子さん
■ 2003/07/12 向日葵さん
■ 2003/07/11 浜田道子さん
■ 2003/07/10 斉藤斎藤さん
■ 2003/07/09 舟橋剛二さん
■ 2003/07/08 花鳥佰さん
■ 2003/07/07 花笠海月さん

むつきさん
22番目に完走されたむつきさんの100首より。

冷水にさらと流るる素麺の「さう」と頷く彼奴は嫌ひ (022:素)  むつき

「冷水にさらと流るる素麺の」が「さう」を導く序詞となっている作品。
聞いているのかいないのかなんでも「そう、そう」と相づちを打つだけで
うわの空の「彼」と流し素麺のイメージが重なります。この歌、すごく好きです。

ぬくぬくと炬燵の君と話すまに煮込む南瓜の黄色漏れ出づ (050:南瓜)  むつき

炬燵がぬくぬく、君との会話もぬくぬく、南瓜も煮えてぬくぬく。
そして「南瓜の黄色」が部屋いっぱいに満ちてくる。幸福感にあふれた1首です。
「私」は、炬燵じゃなくてキッチンにいるのでしょうか。

ともがらと話すをり焚くしばしばの語気にぞ燻る秘めし敵の名 (051:敵)  むつき

「秘めし敵」とは、ひょっとして目の前にいる友だちのことでしょうか。

卯の月をほろとほどける桜花かくも化粧も衣も解けとや (067:化粧)  むつき

愛する人に自分の心のうちを曝けだせない、相手の胸に飛び込んでいけない、
そんなもやもやした気持ちを桜の散りざまに重ねて詠んだ1首。

とらんぽりんのうへにいつしか座りゐてそろそろ結婚しやうかと思ふ (086:とらんぽりん)  むつき

独身でいる現在の自分の状況を「とらんぽりんのうへにいつしか座りゐて」とは言い得て妙。
「そろそろ結婚しやうかと思ふ」ところも「とらんぽりん」な感じが出ているなと感じました。

(7月27日記)




2003/07/27 (SUN)
▲Top

矢野伎理子さん
20番目に完走したのは僕なので飛ばして、
21番目に完走された矢野伎理子さんの100首より。

からっぽになった身体は浮きました挫折(スリップ)する場所間違えたまま (010:浮く)  矢野伎理子

「挫折感のない挫折感」というような感覚を詠んだ歌でしょうか。
これまでの人生をどこかにぶつかって傷つくというようなこともないまま生きてきた作中主体は、
いつからか自分がからっぽな存在となってふわふわと浮いていたことに気付く。
もう、本来「挫折(スリップ)する」べきだった所へは戻ることはできないという
作中主体の絶望的な思いを1首から感じました。

夕焼けの赤赤赤から逃げるため螺旋階段ボール転がる (014:段ボール)  矢野伎理子

転がるボールに自分が重なってみえたのでしょう。
「赤赤赤」という表記に切迫感を感じます。

視線だけ受けて膨らむ紅梅の花の突起にキスの嵐を (016:紅)  矢野伎理子

「キスの嵐」というフレーズは俗っぽい感じがしましたが、
「視線だけ受けて膨らむ紅梅」という捉え方がすばらしいと思いました。

被害者で在りつづけるその傲慢がピアスの穴から漂う 嫌い (020:害)  矢野伎理子

友達の痴話喧嘩あるいは別れ話を親友の立場で
「うん、うん」とうなずきながら聞いてあげているのでしょうか。
「傲慢」が「ピアスの穴から漂う」という捉え方が見事です。
ピアスをはずしたあとの耳たぶの穴って、
その人の何かが透けて見えそうでもあり不気味ではあります。
最後の「嫌い」は、言い過ぎかなと思いました。

「必ず」と「きっと」の間にぶら下がる君の「たぶん」に猫キック、えい! (058:たぶん)  矢野伎理子

「猫パンチ」は聞いたことがありますが、
「猫キック」には意表を突かれました。
「猫キック、えい!」は、想像しただけで笑えます。
「君」との微笑ましい関係性が感じられるかわいい1首です。

(7月26日記)

2003/07/26 (SAT)
▲Top

宮崎浩さん
19番目に完走された宮崎浩さんの100首より。

素質なき電波でとばすわが短歌(うた)が死相のごとく誤字で泛びぬ (022:素)  宮崎浩

「題詠マラソン」でなかなか納得のいく歌が詠めない自分自身への自虐的な歌でしょうか。
「死相」といったのが見事です。僕も死相のあらわれた歌を詠まないようにしないと……。
初句「素質なき」が、「素質なき(われが)電波でとばす」ということなのでしょうが、
言葉足らずで宙ぶらりんな印象を受けました。

冬、妻が抱擁のたびに石を積み塔となりたる建物は立つ (026:妻)  宮崎浩

春、夏、秋と夫婦ふたりの時は流れ、夫である「私」は
目の前に大きな石の塔が聳えていることに気付く。
作中主体である夫が想像した「抱擁のたびに石を積」むという妻の行為は、
愛情の確認であり、その背後には妻の強い不安感があるのかもしれません。
夫にとって妻の愛情が重荷になることなく、妻の前にも
夫の愛による大きな石の塔が聳え立っているといいなと思いました。

天狼星と月のあはひを計りつつ君への想ひ神への想ひ (032:星)  宮崎浩

天狼星とは、大犬座の首星シリウスのこと。冬の空に、明るく輝く月と天狼星。
その距離の隔たりを見上げながら、君のこと、そして神のことを想う作中主体。
シリウスは、「焼き焦がすもの」という意味のギリシア語が由来となっている
ということを知ると、作中主体の想いの深さがより伝わってきます。

冬川はわが孤独クセうつしゆく宛名不明の封筒のやう (042:クセ)  宮崎浩

冬の川が流れるさまをぼんやり眺めている作中主体。
作中主体の孤独感の深さを表現するのに、
冬川全体を一通の「宛名不明の封筒のやう」という
スケールの大きな直喩を用いたのがすばらしいと思いました。
「孤独クセ」とあるように、どこか孤独な自分に酔っているような感じもします。
お題が「クセ」なので仕方ありませんが、
やはり「孤独癖」という表記のほうがいいでしょうか。

三日月が闇をなだめてゐる時に闇へ近づくこひびとの帆は (094:時)  宮崎浩

闇夜の海へと危うげに船を漕ぎ出していく「こひびと」。
それを不安気に見守り、そっとサポートする作中主体。
「三日月」が作中主体で、「闇」は世間というふうに読めばいいでしょうか。

(7月25日記)

2003/07/25 (FRI)
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大辻隆弘さん
18番目に完走された大辻隆弘さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」4月8日&13日に初記載。)

詩は全き世界のうちに孕まれて産み絞らるるときに叫びき (023:詩)  大辻隆弘

表象の鹿がかぼそき脚を立て言葉の埒を越えむとしたり (030:表)  大辻隆弘

「全き世界」から苦しい叫び声をあげてうまれてくる「詩」、
「言葉の埒」を越えようと弱々しい脚で駆けて来る「表象の鹿」、
大辻さんの表現に対する姿勢が垣間見えるような作品です。

逆光の葦、黄金に透くなかに子を置きてそこ去らむとしたり (055:置く)  大辻隆弘

幻想的で美しい情景です。黄金に美しく光り輝く葦原の中で
我が子を写真におさめようとしている場面でしょうか。
しかし、それ以上のものを感じてドキッとさせられる歌です。
我が子が、後光に包まれた天使に見えてハッとする作中主体。
そして、何の取り柄もないくたびれきった自分が、
このように神々しく輝いている子どもを育てているということ、
またこれからも育てていかなければならないということに恐れ戦き、
カメラのレンズを向けたまま彼を置き去りにしてどんどん
後ろへ後ろへと遠ざかって行きたいという衝動に駆られている。
そんなふうにも読める歌でした。 

もうやつて来ないあしたを祈らしめまどろみの淵に子を突き落とす (061:祈る)  大辻隆弘  

この歌も我が子を詠んだ歌です。
子どもを寝かしつけている場面ですが、
上の歌の置き去りにするイメージと同様に、
「子を突き落とす」という結句にドキッとさせられました。
いくら子どもにお祈りさせたとしても、希望ある未来なんて
やってこないことは自分が一番よく知っている。
でも、そんなことを子どもに正直に話して
未来を断念させる勇気は到底自分にはない。
子ども自身が自然に気づく日が間違いなくやって来るだろう。
結句から、そして1首を通して、
子どもたちに託すものを何も育んでこなかった親の世代の
なんとも言えぬやりきれない気持ちを感じました。
この歌の作中主体にも、我が子に神々しい天使の姿が
重なって見えているのかもしれません。

あたたかく夜の雨は降り樹やけものらはたはやすく害(そこな)はれにき (020:害)  大辻隆弘

獣にとっては、たとえあたたかくても夜の雨は辛いものでしょう。
さらにこの歌は、樹木にとっては大いなる恵みの雨となるはずの雨が、
その樹木さえ傷めつけたといっています。
静かに、静かに、いつまでも降り続く雨を想起しました。
それでいて不気味な感じ。人間も獣。我々も既に「たはやすく」
ゆっくりと「害はれ」てしまっているのかもしれない。
そのような感覚を抱かせる歌です。
この作品、『短歌』4月号では結句が次のように改作されています。

あたたかく夜の雨は降り樹やけものらはたはやすく虐げられき  大辻隆弘

個人的には、損なわれていくイメージのほうがすきです。

さよならの「さ」は歳月のさらひゆく落ち葉のかさのやうなささやき (003:さよなら)  大辻隆弘
  
以前にもこの場で取り上げたことのあるうたです。
喩の巧さはもちろん、暗誦性もありとてもお気に入りの歌です。

そよぐ葉を暗むこころの比喩として耐へたる五月ありき、わたしに (015:葉)  大辻隆弘  

直接「比喩」という言葉を詠み込んだ比喩で
青春時代の苦い思い出を詠んだ歌でしょうか。
五月のあたたかい風が樹々を揺らし木漏れ日がキラキラと輝く
非常に美しく明るい情景を見上げていても、
葉の暗む部分に意識がいってしまう精神状態を表現しています。

風となつて通り過ぎてくものたちを見てゐた、ずつと駅として僕は (035:駅)  大辻隆弘

駅でベンチに座って電車を待っているとき、
周りの風景や人々を眺めている自分の視線や思考が
「駅」そのものに同化してしまっている感覚を抱くことがあります。
ビルの最上階から街を見下ろしていると
「私」という存在を離れ「超越者」となったような
感覚になるのと似ているでしょうか。
しかし、この大辻さんの歌には、そういう
「超越者」としての「僕」の姿は一切感じられません。
この世界で「傍観者」でしかいられない
自分への苛立ちというようなものを感じました。

少女はや春の路上を歩みつつ身に沿ふ影の淡きを運ぶ (047:沿う)  大辻隆弘
 
少女期特有の輝かしいまでのピュアな若さと不安定な精神状態の両面を
春という季節と淡い影のふたつで見事に切り取った歌です。

少女はや春の路上を歩みつつ身に添ふ翳のあはきを運ぶ  大辻隆弘

『短歌』4月号ではこのように改作されています。

ゆくりなく橋上に会ふ夕ばえは南瓜を割つたやうな黄金 (050:南瓜)  大辻隆弘
  
南瓜は、夕映え(夕焼け)を想起する言葉なのでしょうか。
僕も、「南瓜」のお題で夕焼けを詠んでいます。

かぼちゃ畑の南瓜いっせいにひび割れて世界は夕焼けに染まりゆく (050:南瓜)  神崎ハルミ

しかし、どちらの夕映え(夕焼け)も、単純に
美しいだけのものとしては詠まれていないようです。
空は、不気味な恐怖感を伴った南瓜色に染まり
われわれに覆いかぶさってくるのです。

ひむがしの一日の風を織りをへてしづかに闇を撫づる枝たち (080:織る)  大辻隆弘
  
昼間は為すすべもなく風に吹かれていた樹々が、
夜の闇の中であたかも意志をもっているかのように揺れています。
初め、お題を誤って「編みをへて」と詠まれていた歌ですが、
歌としてはそちらのほうがいいでしょうか。

ゆふかげの脚ひきあぐる鷺は見ゆ水辺にあさく傷を彫(ゑ)りつつ (098:傷)  大辻隆弘
  
この歌も、すてきな写生の歌です。
ただ、初句は「ゆふかげに」の方がしっくりくるように思うのですが。

オプションはもう無いだらう、くれなゐに遠く夜明けが開かれてゆく (089:開く)  大辻隆弘
  
ジャーナリストからイラク侵攻の作戦について問われたアメリカ政府が、
「オプション(選択肢)がたくさんありすぎて……」と
お茶を濁していたのをふと思い出しました。我々個人レベルにおいても、
オプションはたくさんあるようでいて実際にはないのでしょう。
そして時間だけが流れてゆくのです。無力感漂う歌です。 

2003/07/24 (THU)
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八香田慧さん
17番目に完走された八香田慧さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月30日に初記載。)

安っぽい再生循環終末点意外な温もり段ボール箱 (014:段ボール)  八香田慧

段ボールは、使い古された紙幣を
再利用して作られていると聞いたことがある。
その段ボールに包まって眠っている路上生活者。
「意外な温もり」には、作者の皮肉がたっぷり込められている。

凍り付き窓は動かぬ真夏でも寡占が生んだ嫌なOS (021:窓)  八香田慧

マイクロソフトのOS「ウィンドウズ」がよくフリーズすることを揶揄した歌。
今時「ウィンドウズ」を「窓」と詠んだ歌は陳腐ではあるけれど、
真夏に凍りついた窓のイメージがおもしろく感じた。

事実上無尽蔵だし使い捨て用途も広い資源だ人間 (073:資)  八香田慧

この歌もいかにもアイロニカルな作品だ。
人間を「無尽蔵」で「使い捨て」可能な「資源」だと詠う
作者は、心からそうは思っていないはずだ。
人間の愚かさをこういう形で言挙げしているのだ。

また今日も同じ一日過ぎ去って夜の明けない朝を迎える (087:朝)  八香田慧

作者の絶望感が読んでとれる。
ごくごくプライベートな感慨かもしれないが、
今の社会状況全般へ発せられたものとも読める。

今日もまた硝煙香る街角に何事も無く夕日は沈む (091:煙)  八香田慧

日本に居て「硝煙」の臭いを「今日もまた」嗅ぎ分けている。
空爆が繰り広げられているイラクと日本とは
同じ空でつながっているし、同じ太陽の下人々は生きているのだ。
それだけではない。平和にみえる日本自体も硝煙の臭いをプンプン発し続けている。
「何事も無く」沈んでいるかに見える夕日であって
実はそうではなく、何事かが起こっているのだと作者は警告しているのだ。

アイロニカルな視点、逆説的な表現がこの作者の特徴といえるだろうか。
特に、3首目や5首目は、イラク攻撃が始まった今
こうして目にすると胸にひびくものがある。
なんとなく松木秀さんの作風と似ているように感じた。

2003/07/23 (WED)
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門哉彗遥さん
16番目に完走された門哉彗遥さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月29日に初記載。)

赤縄で君を縛りて真昼間の窓辺に立たす 街よ見給へ (021:窓)  門哉彗遥

「赤縄(せきじょう)」とは、いわゆる赤い糸のこと。
赤い糸で結ばれている異性に、ようやく巡り会うことができた喜びにあふれた歌。
世界は俺のために(二人のために)存在しているといった、世界を支配したかのような幸福感を
「街よ見給へ」という言葉や、エロティックな詠いっぷりであらわしていてとても印象的です。

ひさかたの通天閣のてっぺんからビリケンきらきらションベンしてる (024:きらきら)  門哉彗遥

関西人にとっては、歌の情景を想像しただけで楽しくなる歌です。
「ひさかたの」という枕詞を「通天閣」の「天」にかけるという試みもおもしろいです。
今度、ビリケンさんの足の裏をなでなでしてお願い事をするとき
おしっこを引っかけられないかビクビクするかもしれないなあ。

この星を手に入れたいのかしらんありらんありらん「ジョン!お手!お預け!」 (032:星)  門哉彗遥

北朝鮮の金正日を揶揄した歌。
「ありらんありらん」が歌のメロディを想起させてなんとも切ないです。
作中主体の思いとも読めるし、神さまが躾の悪いペット(人間)を怒鳴りつけているとも読めます。
そういえば、「この星を手に入れたいのか」と問いかけたいおサルさんがいるなあ。
「ジョージ!バナナは反省してからです!」。

置き去りにしてきたものを冷蔵庫開けて探している午前二時 (052:冷蔵庫)  門哉彗遥

「置き去りにしてきたもの」とは一体なんでしょう。
絶対に「冷蔵庫」には入っていないことは確か。でも、
だからといって「ここにある」という場所が他にあるわけでもない。
そう、具体的に目に見える形があるものではないもの。夢とか希望か。
午前二時に冷蔵庫を開けて探すほどその「もの」を希求している
作中主体ならきっと取り戻せることができるような気がします。

ぬうとりあたいわんざるにぶるうぎるほろべほろべばつぎはじんるい (082:ほろぶ)  門哉彗遥

人間の都合で連れて来られ、厄介者になれば処分されていく生き物たち。
すべてひらがなで書かれた歌、そして「つぎはじんるい」という結句が
なんだか神の言葉を知らせる預言者の言葉めいていて怖い歌です。

2003/07/22 (TUE)
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春日山さん
15番目に完走された春日山さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月28日に初記載。)

茜射す水面(みなも)はきらきら耀ひて
     ボートの縁(ふち)に蜻蛉はとまる (024:きらきら)  春日山


美しい情景です。5首目の歌も水面がきらきら
輝いている情景だと思いますが、対照的な歌といえるかもしれません。

睡眠は死のリハーサル今朝もまた
   起きて生まれて一日(ひとひ)を生きむ (048:死)  春日山


「睡眠は死のリハーサル」とは良く言われることで
歌としての新鮮さはあまり感じませんぢすた。しかし1首の中における、
詠い出しの「死」から「再生」への視点の移動がよかったです。
一日一日をしっかり生きようという前向きな気持ちが伝わってきました。

吾が裡の敵は内気と知りつつも
       倒せず生きむこの残生を (051:敵)  春日山


大橋紀子さんの作品を鑑賞したときに挙げた、
同じく「敵」のお題の以下の歌を思い出しました。(7月20日付参照)

当面の敵は自分の気の弱さ今日も幾度か負けさうになる (051:敵)  大橋紀子

ふたりとも「敵」というお題で、自己の内面を
しっかり見つめた歌を詠まれているところが興味深かってです。

観光の海女は海より上がり来て
   八重歯のぞかせ会釈して去る (063:海女)  春日山


「観光の海女」とは、若くて見映えがよいだけの生活臭のしない海女さんなんだろう。
作中主体は、「八重歯」の白さにその嘘っぽさを感じとったにちがいありません。

満ちる潮岸壁を打ちたゆたひぬ
      芥も油も朝の陽のなか (095:満ちる)  春日山


「朝の陽」に、汚れた海が美しく輝いている光景。あたかも
「朝の陽」が、すべてを浄化してくれているかのように見えたのでしょう。
もちろんそれは人間の勝手な想像にすぎません。
我々は、今日も変わらず自然を汚し続けて生きているんですよね。

2003/07/21 (MON)
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大橋紀子さん
14番目に完走された大橋紀子さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月18日に初記載。)

目薬をさして潤める目に見れば森も林も緑がにじむ (029: 森)  大橋紀子

目薬をさした「私」の潤んだ目には、樹々はひとつの大きな緑の塊となって見えている。
すぐに、樹々は樹々として再び像を結ぶことになるのですが、
決してそれは、以前「私」が目にしていた森や林と同じではないはず。
目に見える美しいものをさらにくっきり見たいと希求している作者がここにはいるように感じました。

殺されても死にさうもない母なりき子育て時代の若き私は (044:殺す)  大橋紀子

母として逞しかった頃の自分を振り返った歌。
子育てに夢中だった時代をほのぼのと懐かしんでいるだけではなさそうです。
大橋さんは「敵」という題で、次のような歌も詠んでいます。

当面の敵は自分の気の弱さ今日も幾度か負けさうになる (051:敵)  大橋紀子  

南向き斜面に白き梅の花そこより春の光広がる (046:南)  大橋紀子

春の発見の歌。

さあこれですつかり身軽 旅の荷のリュックはコインロッカーの中 (069:コイン)  大橋紀子

長期間の周遊旅行に出かけると、とりあえず
荷物を駅のコインロッカーに預けておいて町を巡るということがありますね。
その時に感じる身軽さと開放感に共感しました。
深読みになるでしょうが、作中主体が旅という非日常から、
さらなる非日常へと踏み込んでいくような恐さをも感じた歌でした。

レシートの裏に書かれし短歌メモ逝きたる母の財布に残る (100: 短歌)  大橋紀子

市井の歌人として言葉を紡ぎだしていたお母さん。「レシートの裏」には、
お母さんが最後に閉じ込めた季節や思いの断片があるのでしょうね。
こうして我が子によって詠われてゆく母の姿。
作者もお母さんの影響で、短歌を始めたのかもしれません。
これからもどんどんお母さんのことを詠っていってほしいなと思いました。
ちなみに、僕もよく書店のレシートや図書館の貸し出し票の裏をメモ代わりにしています。

2003/07/20 (SUN)
▲Top

飛永京さん
13番目に完走された飛永京さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月17日に初記載。)

声変わりしてない男のさよならが首筋あたりをふらっと撫でる (003:さよなら)  飛永京

街の雑踏を歩いていると後方から聞こえてきた子供の「さよなら」という声。
そんな何でもない出来事が、「私」の記憶(初恋の記憶だろう)を「ふらっと」呼び覚ました。
声変わりすることなく「男」(大人)になって街をさまよっている
「あの子」の姿を思い、「私」は思わず後ろを振り向いたのかもしれません。

理科室の血管クンに涙腺が有ることを知りわたしも泣いた (018:泣く)  飛永京

決して涙を流すことのない涙腺をもつ理科室の精巧な人体模型。
しかし、作中主体は、この人体模型の「血管クン」も
人知れず泣いていると感知しています。そして「わたしも」泣くのです。
「窓」の題で、「血管クン」を詠んだ歌がもう1首ありました。
他にも飛永さんには、『短歌研究』の「うたう☆クラブ」(第1回)での
穂村弘コーチとのやりとりで完成したとてもすてきな「血管クン」の歌があります。

理科室の窓が一枚割れていて血管クンが消えていた朝 (021:窓)  飛永京

理科室の血管クンに会いに行くドヴォルザークに耳をふさいで  飛永京

飛永さんは「うたう☆クラブ」のやりとりの中で、
「好きでした、血管クン。ほぼ初恋。切ない小学生の……を出したいです。」
と述べていました。これが2年前のことですから、「血管クン」という
キャラクターに対する飛永さんの思い入れはかなり強いようです。
卒業するまでどうしても好きになれなかったあの理科室が
独特の薬品臭とともに懐かしくよみがえってきました。

背が高く白くて冷たい必需品 冷蔵庫のような女になりたい (052:冷蔵庫)  飛永京

冷蔵庫を「背が高く白くて冷たい必需品」とは、巧くいったものです。
きっと作中主体は、他人に暖かく接することを常に心がけていて、
実際、性格的にもとても優しい人なのでしょう。にもかかわらず、
自分は「必需品」とは見なされていないと感じていて悩み、傷ついているのです。

ブッダにもゴッドにもある小さなツ ウッドベースにでも祈っておこう (061:祈る)  飛永京

軽いウイットを含んだ歌に込められたものは、深刻な絶望感というよりは、諦念でしょうか。

題を詠む三十一文字はかさかさとロールシャッハの蝶になり舞う (099:かさかさ)  飛永京

心の奥深くに閉じ込められていたものが「題詠」という力を与えられ、
「ロールシャッハの蝶」となって立ち現れてくる。
「かさかさ」という乾いた感じからは、自由を得た開放感や喜びは感じられません。
「蝶」として解き放たれた歌は、さらに他者の批評や鑑賞、
あるいは自分自身による再認識をとおして作者を癒してゆくのでしょう。

2003/07/19 (SAT)
▲Top

水須ゆき子さん
12番目に完走された水須ゆき子さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月16日に初記載。)

重なれば人も言葉も濁るらし火の輪潜りの火の明らけし (002:輪)  水須ゆき子

身体を重ねたり、言葉を交わすという行為は、
恋人同士がお互いを理解し、更に愛を深めようとするために
必要かつ重要なものであるはず。それなのに、月日を重ね
関係が密になればなるほど、あなたは見えづらくなってくる……。
自らの心の中に曇りなくはっきりとある「火の輪潜りの火」を
作中主体は、頬を熱くしてまぶしく見つめています。
輪をくぐれば、黒焦げになってしまうかもしれない。
しかし、彼女はその「火」と重なることを決して恐れてはいません。

声帯が千切れるくらい泣いた日の中森明菜のような夕焼け (029:森)  水須ゆき子

うまく説明はできないけれど、「中森明菜」という固有名詞の使用が、
感覚的に巧いなと思わせる直喩の歌です。
この夕焼けは、明日の晴天を予報する美しい夕焼けというよりは、
まだまだ泣きたりない感じを含んだものでしょうか。

嫌いから大嫌いへの昇格を決めて背中に回す両腕 (049:嫌い)  水須ゆき子

愛情と憎しみの度合いは表裏一体。好きから大好きへと昇格したことを
「嫌いから大嫌いへの昇格」と逆説的に表現したのが秀逸です。

わたくしの夢にいつでも吹いてくる風があります あなたでしたか (059:夢)  水須ゆき子

夢のなかに、いつも直接姿を見せることなく、
風となってあらわれるあなたに気づいた「わたくし」。
「あなた」とは現在進行形の人で、
自分の恋心に気づいた瞬間を詠んだ歌でしょうか。
それとも、過去の人への消し去ることのできない思いでしょうか。

傷はもうとっくに癒えてまぼろしのかさぶただけがいつまで痒い (075:痒い)  水須ゆき子

これは、過去の人への思いを詠んだ歌で傷はすっかり癒えている。
でも、この傷は決して軽いものではなかったのでしょう。

むずがゆいかさぶたのごとなつかしい人と見つめる蛸の酢の物  東直子

この東作品にある「なつかしさ」という感覚以上のものを歌から感じました。

2003/07/18 (FRI)
▲Top

田丸まひるさん
11番目に完走された田丸まひるさんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月15日に初記載。)

匿って欲しかった傘はこれじゃない それなのに入り込んでごめんね (025:匿う)  田丸まひる

男にしたら、こうい気まぐれな女性は、誤解して混乱するから困り者です。
でも傘を差し向けちゃうんですよねえ……。

寂しいよ 遺伝子が混ざり合う音が聞こえるくらい気持ちよくして (036:遺伝)  田丸まひる

作中主体の孤独感や愛の希求の切実さを
「遺伝子が混ざり合う音が聞こえるくらい気持ちよくして」
という強烈なフレーズで表現したところに注目。
「寂しいよ」は言い過ぎのような気もしますが、
この何でもない呟きが初句にあるからいいのかもしれません。

君がくれる挫折はいつも六月の運動場の砂の味がする (041:場)  田丸まひる

はじめ僕の中で、「挫折」を喩えた「六月の運動場の砂の味」が、
具体的なイメージを結ぶことはなかったのですが立ち止まらされた歌でした。
運動場のために人工的に持ってこられた砂、
その砂がじっとりとした六月の雨に濡れた感覚でしょうか。

僕たちはこんなに禁欲主義なのに麦茶のグラスが汗をかいてる (054:麦茶)  田丸まひる

「麦茶」ということは、ふたりは喫茶店とかにいるのではなく
どちらかの部屋にいるのでしょう。まだ若いふたりでしょうか。
ふたりの恋愛に初々しさを感じる歌です。
おそらく「僕たち」といっている作中主体は女性でしょう。
グラスの汗をエロティックにみつめているところがユーモラスで、
女性のほうは、この張り詰めた状況をどこか楽しんでいるように思えます。
逆に男性の緊張感というものが歌から伝わってきますね。

すれ違う車の光に刺されても痛くない感じ方を教えて (065:光)  田丸まひる

車のヘッドライトに照らされるだけでも心が痛む作中主体。
「感じ方」は、推敲の余地があるでしょうか。

2003/07/17 (THU)
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森川菜月さん
10番目に完走された森川菜月さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月14日に初記載。)

着るために脱ぐとき雨の音がしてうさぎのやうにまるまつてゐる (006:脱ぐ)

アトリエに静物として置かれゐるギターは穴に蝶を匿ふ (025:匿う)

廃線の駅のホームに佇つやうに君と旅行誌見てゐる真昼 (035:駅)

君に似て尖るフォークに巻かれゆくパスタじわりとフォークを縛る (068:似る)

規格品の半紙に満ちるまばゆさに海のさんずいくろぐろと打つ (095:満ちる)  森川菜月


1首目。ベッドは共にできても、決して一緒に
朝を迎えることはできない関係の男女の逢瀬の歌でしょうか。

眠るためにあらぬベッドのかたはらの冷蔵庫には触れず 帰らう (052:冷蔵庫)  森川菜月  

こういった歌(ホテルの部屋を詠んだ歌でしょう。)や
3、4首目の歌をあわせて読むとそう読めそうです。
会うまでは喜びでいっぱいだったはずなのに、雨音を聞いてふと、
数時間後にはもう洋服を着直さなければならない、つまり
「着るために脱ぐ」ことの空しさを感じてしまった作中主体。
彼に背を向けてベッドで丸まっている姿が切ないです。

2首目。今は楽器としてはもちろん、絵の題材としても用いられなくなって
アトリエの隅にひっそりと置かれているギター。この孤独に耐えているギターが、
キャンパスに描かれた蝶を匿っていても不思議ではなさそうな気持ちを抱かせる歌です。

3首目。君と一緒に旅行になんか絶対に行けないのに
旅行誌を一生懸命に見ているふたりは、
廃線の駅で来るはずのない列車を待っているようなもの。
ふたりの関係性を直喩で巧みに表現した歌です。

5首目。「規格品の半紙」の禍々しい白に「海のさんずい」の黒をぶつける作中主体。
きっと書道で、波立ってきた気持ちを静めようとしているのでしょう。

2003/07/16 (WED)
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立花るつさん
9番目に完走された立花るつさんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月13日に初記載。)

君がいて幸せ足りてるはずなのにミルクティーにも入れたいレモン (008:足りる)

詩子という名の女の子怒らせた理由は今もわからないまま (023:詩)

コンロからおろしても尚煮えたぎる土鍋のような母親の愚痴 (043:鍋)

南向き日当たり良好それだけが宣伝文句の新婚生活 (046:南)

この国がいつほろんでもいいように英語はしっかり勉強しましょう (082:ほろぶ)  立花るつ  


2首目。詩子ちゃんを怒らせた理由は、
自分の名前に対するコンプレックスでしょうか。
それとも「詩」という言葉を名前に含んでいる子への嫉妬か。

3首目。よくわかる直喩の歌です。

4首目。何不自由ない新婚生活で幸せなはずなのに、
どこか満たされていない作中主体は、今の生活に
不動産の宣伝文句のような空々しさを感じています。
結婚生活の理想と現実のギャップを詠んだ個性的な歌ですね。
1首目の「ミルクティー」の歌でも同様の感覚が詠われています。

2003/07/15 (TUE)
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足立尚彦さん
8番目に完走された足立尚彦さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月12日に初記載。)

言葉より人は長生き「ともだちの輪」を死語としてタモリが生きる (002:輪)  足立尚彦

「タモリ」という人名が活きた1首ですね。
あの昼の長寿番組をしているタモリへの揶揄を少し含みながら、
言葉がどんどん消費されてゆく時代への嘆きを詠んでいます。
作者は、決して流行語だけをみているのではないはず。
自らの発する言葉はどんどん死んでいくのに今日も自分は生きている、
残すべき言葉を見出せない自分への苛立ちも垣間見ることができる歌です。

ああ今日といふ日にまたも追ひ越され昭和を突破できないでゐる (012:突破)  足立尚彦

「昭和を突破できないでゐる」という嘆きに悲愴感さえ感じる歌です。
(初句が「ああ」で始まっているせいもあるでしょうか。)
これは、「昭和」を越えられずにいる「平成」の世への批判を含んだ嘆きなのか。
それとも個人的な理由に由来するものでしょうか。

化粧濃き女ら鍋を囲みゐてさて春菊はいかに匂はむ (043:鍋)  足立尚彦
 
鍋を囲む女性たちの化粧の匂いと
春菊の青臭い匂いとがせめぎあっている様子を
傍観者的に眺めている視点がおもしろい1首です。
ふだん、作中主体は春菊は大嫌いなのだけれども、
この時ばかりは春菊のほうを密かに応援しているのかもしれませんね。

ああ何を信じて眠い 理髪店の刃物男に身を預け置き (055:置く)  足立尚彦

理髪店恐怖症の僕としてはすごく共感した歌です。
といっても僕の場合「刃物男」を恐れるというより、
理髪店でマフィアが射殺される映画を思い起こして、
鏡越しに外の風景が気になって仕方ないのですが。
(実際にそういう事件が日本でもあったように記憶しています。)
歌の場面は、「シャンプーなし1000円!」
といった安さと早さが売りの大衆理容店でしょうか。
こういう店は、毎回髪を切ってもらう人が異なるので
仕上がり具合はもちろんのこと「刃物男」の恐怖もあるのです。
種々のものや人を漠然と信じて生きていることへの
かすかな心の揺らぎが巧く表現されている歌です。
そういえば、Mr.ビーンも客から「刃物男」になってたなあ。

「祈らーぜ」は微熱のもとで希望とか夢を分解する酵素です (061:祈る)  足立尚彦

足立さんのこういった機知に富んだ歌もおもしろいですね。
「夢」や「希望」というものは、実現できたかどうかよりも
「分解」することに意義があるのかもしれません。

2003/07/14 (MON)
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村田まゆ子さん
7番目に完走された村田まゆ子さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月11日に初記載。)

天(そら)に浮く島があるなら息を止めありすぶるーの羽ふるわせて (010:浮く)

ママが言う言葉はいつも正しくてニンジンの葉が捨てられている (015:葉)

あさましき雌で在り続ける吾の素肌 乳房のハモニカは鳴る (022:素)

記憶には薔薇の香りが染みこんで祈るためには何か足りない (061:祈る)

明るみの宴席にわく限りないうすばかげろううすばかげろう (072:席)  村田まゆ子   


1首目。「ありすぶるー」とは鳥、それとも蝶の名前でしょうか。
作中主体は、何を希求しているのでしょう。

2首目。僕は、大根の葉はおいしく食べていますけれど、
きっとニンジンの葉も栄養があっておいしいのでしょうね。
作中主体が「ママ(親)」に感じている違和感や拒否感というものの中に、
「女性」に向けられた視線というものが混じっているように感じました。

5首目。「うすばかげろう」と「薄馬鹿」を掛けていて
宴席のうだうだした感じを巧く詠んだ歌だと思いました。
作中主体は、心の中で「うすばかげろううすばかげろう」と
呪文のように何度も唱えて、苦痛のひと時を耐えているのでしょう。

2003/07/13 (SUN)
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向日葵さん
6番目に完走された向日葵さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月11日に初記載。)

どうせなら罵りながら泣いてくれトドメ刺すにはお前はぬくい (018:泣く)

裏表使い分けたるその人はコインをとても恐れています (030:表)

南風 ふりまき走るあの娘(こ)らを 春一番と言うんだそうだ (046:南)

たぶんきみ微妙に絶妙だからさ、B級の棚にいるんだろうね (058:たぶん)

チカチカと蛍光灯がなる時の未練がましい光り方が好き (065:光)  向日葵


独特のユーモアというかとぼけた感じの歌が持ち味といえるでしょうか。
3首目のような歌でさえ、短歌らしくまとめてしまうのではなく 
「春一番と言うんだそうだ」ととぼけてみせています。

2003/07/12 (SAT)
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浜田道子さん
5番目に完走された浜田道子さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月7日に初記載。)

愛されし想い出ひとつ残れかし孫は背中に眠りておりぬ (013:愛)

きらきらと湖面に寄せるさざ波は朝陽を受けて限りもあらず (024:きらきら)

中ぐらいが一番良いと言いおりし義母の葬儀を中ぐらいとす (033:中ぐらい)

いかめしき義父の遺影にほくほくと甘く煮えたる南瓜を供う (050:南瓜)

星空に煙をあげて肉を焼く親族(うから)原始の顔となりつつ (091:煙)  浜田道子



「題詠マラソン2003」という企画がなければ、ネット上では
なかなか目にすることができなかった部類の歌といえるでしょう。

縦横(たてよこ)に生活の糸織りゆきて土の匂いの歌集つくらん (080:織る)  浜田道子 

と歌の中で決意表明をしているとおり、家族をはじめ自分の周囲を
丁寧に歌にする生活に根ざした歌人というのが第一印象でした。
作者自身は特別な境遇にあるわけでもないのに歌の世界に引き込まれていきます。
単に歌が巧いからとか、歌が読み手の共感を集める内容だから
というだけでなく、作者の言葉に「詩」があるからにちがいありません。

5首目。子や孫とともにバーベキューをしている場面でしょうか。
星空の下、それぞれがほんの一時とはいえ日常生活での悩みや苦労を忘れて
ワイワイ楽しく食事をしている姿に、作者は原始の記憶を呼び覚まされたのでしょう。
野外でのバーベキューという非日常の行為の中で、
現代ではほとんど失われてしまった「何か」が
蘇ってきたのを作者は敏感に感じ取ったのです。
同時に作者は、これからも脈々と続いていく
血縁というものにも思いを馳せているのでしょう。
家族、そして幸福というものの根源について考えさせられる歌です。

2003/07/11 (FRI)
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斉藤斎藤さん
4番目に完走された斉藤斎藤さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3月5日に初記載。)

リトルリーグのエースのように振りかぶって外角高めに妻子を捨てる (026:妻)

目に映るすべてが君に見えてきて君じゃなさそうな駅員を抱く (035:駅)

天然の冷蔵庫だなを聞きたくて父と市バスにゆられとります (052:冷蔵庫)

六日後の世界についてかんがえる祈らないように気をつけながら (061:祈る)

俺様の楕円の視野をあふれだすしずくが世界を写してやまぬ (084:円)  斉藤斎藤
   


独特の作風で今回のランナーの中でもひと際異彩を放っている斉藤斎藤さん。
どちらかといえば、僕は2、3首目のような歌のほうに惹かれました。

1首目。不快感を感じる人がいる歌なのかもしれないのに、一読して
作中主体の男の無茶苦茶さ加減にスカッとした気分になるのはなぜだろう。
「リトルリーグのエースのように」というのもなんだか笑えます。
ヘタウマなマンガ家(詳しくないので蛭子能収しかイメージできませんが……)
とのコラボで四こまマンガの最後のオチにするとおもしろい歌かもしれません。

2首目。失恋の歌。「こんな奴おらんやろー」と
突っ込みたくなるだけで終わらないところにこの歌の魅力がありそうです。
目にする人みんなが「君」に見えるほどまだ「君」への思いは強い。
それなのに、確実に「君」ではないはずの「駅員」さんを
「君じゃなさそう」だからと抱きしめる作中主体。
既に失ってしまった「君」を再び失うことを恐れている作中主体に共感を覚える
とともに、だからこそ彼の「君」を求める切実さを強く感じる歌でもあります。

3首目。作中主体は、幼い頃、日曜日になると
父親にいろいろなところへ連れて行ってもらっていたのでしょう。
冬の市バスの中での「天然の冷蔵庫だな」という父の何気ない言葉が、
遠い日の甘い記憶とともに今でも彼の心のなかに残っているのです。
もしかすると、現在は少し父と子の関係がぎくしゃくしている状況なのかもしれません。
お互いの気持ちをゆっくりと解凍するように市バスは走っているのでしょう、きっと。

5首目。「泣く」ということを巧く表現した歌です。
世界が自分の視野の外にあるという認識が、
痛々しいまでの絶望感を読み手に訴えかけてきます。

水滴のひとつひとつが月の檻レインコートの肩を抱けば  穂村弘  

という歌をふと思い出しました。

2003/07/10 (THU)
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舟橋剛二さん
3番目に完走された舟橋剛二さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」2月12日に初記載。)

切れた輪の切れ目をつなぎ永遠と思わせるから愛は嘘つき (002:輪)

足りるより足りない方がいいらしい 今でも君を愛したりない (008:足りる)

大会をひかえた夜のとんかつをふと思い出す母の病室 (037:とんかつ)

だまされて奪われたあと殺された誰かの記事を読み飛ばす朝 (044:殺す)

悲しみを煙にしようと思ったら間違えて僕が煙になった (091:煙)  舟橋剛二
   


短期間に一気に詠んだ100首ということもあって
さらっとした詠みっぷりがやや物足りないように感じなくもありません。
舟橋さんとは、親しくさせてもらっているので辛口になりましたが、
それが舟橋さんの歌風でもあり、また魅力でもあるのだろうとは思います。
そのなかで特に、優しいまなざしを感じる歌に心惹かれました。

2003/07/09 (WED)
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花鳥佰さん
2番目に完走された花鳥佰さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」2月12日に初記載。)

あの日よりわれ「がらんどう」のサンプルとして陳列さるるを君知りたるか (045:がらんどう)

電車待つ猫待つ君待つ春を待つわれの一生(ひとよ)は「待つ」にうめらる (071:待つ) 

いまなにかとほりすぎたる円窓の障子いっしゅん冥土をうつす (084:円)

石鹸の工場ある日みづに沈み幾十億のシャボン玉生む (096:石鹸)

わが喉を肺に結べる気管支は百合のごとくに白くかがよふ (097:支)  花鳥 佰
   


お題「円」の歌、「なにか」とぼかすのではなく、
猫や鳥など特定の身近で具体的なものを詠みこんだほうが
さらに歌の魅力が増すように感じました。

2003/07/08 (TUE)
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花笠海月さん
トップで完走された花笠海月さんの100首より。
(さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」2月11日に初記載。)

ひどく泣くおとこのあたまを抱いている春にはとおき昼のあわ雪 (018:泣く)

きらきらとするものつねにとおくある手に血脈のすけるかなたに (024:きらきら)

手を三回ふってわかれる春の暮あなたはほんとにやさしいひとです (028:三回)

金曜のひかりさしこむ室内にクセジュ文庫の背は色あせる (042:クセ)

あてさきをふとくおおきく書きおえて大蛇町へ書類を送る (057:蛇)  花笠海月
    


特に「クセジュ文庫」の歌は、
「金曜」との取り合わせといいすごく巧い歌だと思いました。
ちゃっかり自分もこの歌からイメージを広げて
「クセ」のお題の歌を詠んだくらいです。
「大蛇町」という地名の使い方も巧いですね。

2003/07/07 (MON)
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Writer: 伊波虎英(旧・神崎ハルミ)